そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

キックオフ

昨日、合志市役所で
九州経済産業局長 塩田康一氏による講演
合志市らしさを活かした未来への挑戦~連携による
持続的発展に向けて~」が行われた。
九州経済産業局合志市の連携強化を記念した
キックオフセミナーである。
九州経済産業局のバックアップは強力だと思うが、
まずはそのシーズあってこそ。
シーズではなく、bud芽か。





安倍改憲案は「戦後レジーム」を完成させる

雑誌「表現者クライテリオン」11月号掲載の
堀茂樹さんの「安倍改憲案は『戦後レジーム』を
完成させる」から。
「安倍改憲案の迷走ないし逸脱を本質的に説明できるのは、
おそらく、安倍晋三という人物の内に無理なく想定しうる
名声願望でも、権力欲でも、はたまた、連立与党である
公明党の懐柔を含む戦術的配慮でもない。
むしろ、戦後レジーム日本国憲法についての
安倍晋三の思い自体がもともと、深い思索や痛切な経験に
基づいていないために内実を欠く観念でしかなく、
せいぜいナルシシスティックな自己陶酔を誘う
道具立てにすぎなかったのだろうという洞察のほうが、
真実に近いだろうと思う」
つまり、本当に日本の将来を思い改憲を望むのなら、
安倍政権での改憲を絶対に許してはいけないという
唯一無二の真実がそこにあるということだろう。
堀さんの文章を読んでいて気づかされたが、
自民党の綱領には「新憲法の制定を目指す」とあり、
憲法改正を目指す」ではないのだが、
そこの区別は曖昧であるという部分があり、なるほど
大事なことなのに結構いい加減である。



 

第24回上庄城山祭り

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上庄城山祭りに行った。
写真は、地搗きが終わったところ。
エイトエイトの掛け声と一緒に綱を引いていたので、
最中の画像はありません。
ステージで、思いがけず、あの「やうちブラザーズ」を
見ることができたのはラッキーだった。
いやあ、笑ったわらった。


菊池恵楓園文化祭

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かえでの森こども園の子どもたちも来ていた。
このリュックサックはあの子たちのものだろうか。
吉山安彦さんから画集を頂いた。
午後はヴィーブル文化会館で、
第30回熊本県暴力追放県民大会in合志に参加。


 

 

山鹿行

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可徳乾三のチラシを持って、山鹿市へ。
セオリーとして、まず図書館を訪ねる。
市役所の隣の交流センターに入っている。
受付で中川正平の件と申し出ると、山鹿市で作成した
冊子をすぐに取り出してくれて、その編集に携わった
職員の方に繋いでくれた。素晴らしい。
私の念頭にはまったくなかったが、
女子ハンドボール世界大会が11月30日から、
山鹿市でも開催されるとのこと。
職員の皆さんは大変なことだろう。
久しぶりの山鹿市、車で走っただけだが、
昔の面影が残っているところもある良い街だ。
いつの間にか、どこにでもあるようなチェーン店が
増えているが、それはそれ。
その後、菊池市図書館に寄って、同じくチラシを
ことづける。菊池市も歴史と文化を大事にしている。
それをいかに市民と共有できるか、である。



 

母の子ども時代(台湾篇)

母と墓参りに行った。こちらから水を向けないと
何もしゃべってくれないので、
子どもの頃のことを聞いた。
祖父が陸軍の軍人だったので、母は東京で生まれて、
小学校に入る前に台湾に渡った。
小学校では日本人だけではなく、
現地で地位の高い家庭の子どもと一緒に学んだそうだ。
母は妹と二人、人力車に乗って通学した。
車夫は言葉が通じないので、
定期券みたいなものを首から下げて、
それで行き先を知らせていた。
彼は人力車を曳くとき草履を懐に仕舞っていたらしい。
母たちは裸足だったそうな。
正月に食べた西瓜のことを何度も話した。
小学校4年のとき、熊本に帰ってきたが、
熊本弁が分からなかったらしい。
よく言われることだが、喧嘩をしているようだったと。
祖父も祖母も家では熊本弁をあまり使っていなかったのだろうか。



コミュニティバス

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来年10月に予定される運行ルートの見直しについての
住民(利用者)説明会が、御代志市民センターで開かれた。
思ったよりも多くの市民が参加。10人未満だけど。
今回の見直しは、重複路線の整理と、乗り換え利便性による
より効率的な路線の構築が主題である。
自分の住まう地域により、路線と利用頻度の差が出てしまう。
現状で利用者が統計的に少ないと、
どうしてもそれなりの扱いにならざるを得ないのだが、
ひょっとしたら、人口のわりにのべ利用回数の多い地区が
出てくる可能性もないわけではない。
外出と移動、そして人と人のコミュニケーションを
私たちの生活と文化の中でどう捉えていくか。
それは人が生きるという、そのものであると思うのだが。