そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

memories

私のハードボイルドワンダーランド

母の実家は、熊本電鉄(菊池電車)の黒石駅の近くなので、幼いころ、祖父のところに遊びに行ってさて、熊本市内に遊びに行くか、となると黒石駅から菊池電車に乗ったものだ。そして堀川駅で降りて、バスに乗り換える。通町鶴屋前まで行くには、バスの方が便…

戦没者追悼式

毎年今頃行われる合志市戦没者追悼式。今年は5月28日月曜日に開催された。戦没者遺族のみなさんにはまことに申し訳ない気持になるけれども結果的に、私の近しい親族に戦死した者はいない。そんな中、一番不運だったのは、父の兄弟の長兄であろう。熊本中学か…

老人ホーム

この時期、おたまじゃくしは小川や池で育っているだろうか。私が生まれ育った家には、大きな池(泉水と呼んでいた)があり、どこからやってくるのか知らないが、初夏にはカエルの声が聞こえたものだ。大合唱だったような気もするし、風流に歌っていたような…

スティング

伯父(父の実兄)が亡くなり、その葬儀で昨日大阪に行った。伯父は大正15年生まれ、85歳。父は海軍の予科練で、呉の造船所で終戦を迎えたと言っていたが、伯父は同じ予科練でも航空隊だった。どこで詔勅を聞いたのだろう。祖母の、自分の家族にまつわる話は…

このまま ぼくら

きみは苺をつまみながら 軽い髪に気を配る すごい勢いで 誰かが風纏い 走り抜けて行った 壁は崩れ落ちて 美術館は 海に変身 きみはまだ ちっとも笑いそうにないんだ このまま ぼくらに 悪いことや悲しいことがなければいいのにな ぼくはきみの顔を 眺めて暮…

太平洋のように

今日は、長男の19回目の誕生日。熊本赤十字病院で昭和63年に生まれた。3500g位だった。昭和の次の元号は「平和」がいいかも、と呑気に考えたことがあって、「洋平」と名付けたことになっている。翌年、ご存知のように「平成」になったので、先見の明があっ…

同窓であること~12/?/2001・k264

熊本の人は、すぐに出身高校を聞きたがると言われる。この出身高校の話題を、何で初対面の人としなくてはいけないのか、変だ、どうでもいいことなんじゃないかと思う人もいるらしい。 確かに長い人生の中でのわずか3年間を過ごしただけなのだが、青春時代の…

同窓会って何?~9?/?/2002・k225

母校大津高校が、今年創立80周年を迎えた。私は同窓会総会に参加したのだが、46歳の私が若い方であるということで、だいたい会の性格がわかるというものだ。 では私はなぜ同窓会に行くのか。それは今この時代に、同窓会というものが、どういう意味を持つのか…

一般の部A「親として、地域の一員として、先輩として」 題「学校は好きですか」①~?/?/2000・k155

私の祖父が、小学校に上がる前(おそらく100年と少し前)のことである。自分の兄が学校で勉強しているのがうらやましくて、毎日窓の外から授業をのぞいていたら、ある日先生が「そんなに勉強したいなら、お前も中に入れ」と教室に入れてもらったという話を幼…

一般の部A「親として、地域の一員として、先輩として」 題「学校は好きですか」②~?/?/2000・k154

そういう幼時の思い出と多少関係があるかもしれないが、長男が1年生になって、しばらく交換日記をつけたことがある。身体があまり丈夫でなかった私と違って、息子は外遊びが好きでしようがないタイプなので、文章に綴ることが面倒になり(夜は疲れて早く寝て…

一般の部A「親として、地域の一員として、先輩として」 題「学校は好きですか」③~?/?/2000・k153

編集会議で、じっくり掘り下げてなんて言ってる内に、2年目が終わってしまったのだが、私以外の委員はひとりを除いて全員女性。「友だち」というテーマを選ぶということ自体が、私が個人的にセンティメンタルなのか、ジェンダーによるものみたいな気がしない…

広報委員長を終えるにあたって①~?/?/1999?・k145

PTAはボランティア活動の一つである。ということを小学校の役員の集まりで言ったことがある。そのときは、そのことについて、反応がほとんどなかったのだが、そのPTA活動の中で最も敬遠されると言われる広報委員をつとめて2年。2年目の今年は委員長だ…

広報委員長を終えるにあたって②~?/?/1999?・k144

ともかく、そうやってPTA活動に携わった多くの女性が、世の中の動きについて考えるようになり、社会性に目覚めたがために、時代状況が少しずつ変わってきたという一面もあるのではないか。そしてそれは、ごく自然なことである。 俗に、実社会での主たる働…

広報委員長を終えるにあたって③~?/?/1999?・k143

たとえば、そこに柿の実があるとする。残念ながら甘柿か渋柿かを、外観から見分ける知識はない。それでちょっとかじってみる。そしたらこの柿、正真正銘の渋柿であった。そのときその実を捨てることも一つの選択。待てよ、時間はかかるが、つるし柿にしてみ…

記憶の森の油絵を尋ねて②

そんな美術部と、程なく誕生するサッカー部には人的な結びつきがあった。中学のときから、美術クラブでお世話になった与縄さんが、美術部をやめてサッカーに行ってしまったこと、それから翌年の事だが、同じく大津中学校の美術の後輩、今は第二高校の美術の…

記憶の森の油絵を尋ねて①

上田欣也 (昭和49年 高校26回卒) 高校に入学した勢いで、私は、NHKラジオのフランス語会話、ピアノ、油絵と、三つのことを同時に始めた。その中で一番長続きした、これは美術部の思い出である。 私たちが入部したときには、伝説の美術室は解体前夜…

第55回陽美展に寄せて

熊本の人は、挨拶代わりにすぐに相手の出身高校を聞きたがるが、あれは変ではないかという意見があります。私は、聞かれる前に自分から大津高校出身ですと言うこともあるので、熊本県人の典型かもしれません。 たいていは、「あのサッカーで有名な」という反…