そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

広報委員長を終えるにあたって③~?/?/1999?・k143

 たとえば、そこに柿の実があるとする。残念ながら甘柿か渋柿かを、外観から見分ける知識はない。それでちょっとかじってみる。そしたらこの柿、正真正銘の渋柿であった。そのときその実を捨てることも一つの選択。待てよ、時間はかかるが、つるし柿にしてみようという、もう一つの選択。後者は、甘柿を食べるというのとまた一味違った喜びを、人生において得ることができるということだ。

 売ってある干し柿を買うというのもまた一つの選択には違いないが、結果だけを求めることで、どれだけ多くの子どもたちが疎外されてきたのかを思うと、PTA活動というボランティアの重みというものが、おのずとおわかり頂けるだろう。

 とはいえ、委員選びのときにいつも最後まで決まらないと言われる広報委員。やってみてもいいけど、自分から手をあげるのはどうも―――という人もいるとは思うが、文章書いたりするのが苦手だからという理由がまかり通るとしたら、われわれの受けた、少なくとも義務教育は大筋で間違っていたということの証明でしょう。 

Then and Now : これは、何のために、誰のために書かれた文章だったか、忘れてしまった。幸福なことである。こんなスノビッシュな文章を読まされて、誰がPTA活動に参加したり、広報委員になろうなんて思うだろうか。当時は、自分の使命感に燃えていたので気づかなかったことも多い。
 いま思うと、人生にはそういう時期もあるのだ、ということで苦笑いして許せることでもあるが。
 合志南小学校は、この年、熊日PTA新聞コンクールで優秀賞をもらった。個人的には、これを最後にPTAの目立った活動から身を引く。