そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

トーキング・オールド・ソルジャー

 年寄りの話を聞くのが好きだ。小さいときから、祖父母と同居していたし、親戚のおじさん、おばさんや年寄りがよく来る家に住んでいたせいかもしれない。
 そういう幼児体験は貴重だし、話を聞く態度というものや、目上の人を尊重するということも自然に身につく。と言いたいが、個人的にはそれほどでもない。まあ、苦痛でないという程度?
 
 昔あった学生運動の頃、既成のもの、体制・権威というものをスクエアだとか決めつけて、全面的に否定したことがあった。私も、その通りだと意気に感じたものだが、いま思うと、そういう十把ひとからげに何でも括ってしまうことこそが、スクエアな頭の悪さであって、団塊の世代の人たちは、いまだにそういうところがあるので、2007年大量失業、失礼、定年退職の年に、広告業界の餌食となることは明白である。
 と、決めつけてはいけないね、ポスト団塊君。

 昔、年寄りの話は面白かった。だが自分が年寄りの仲間に近づきつつあるいまどき、ゲームだ、DVDだと、一触即発に面白いエンターテインメントがあふれているので、やたらと時間がかかる、年寄りの話のその面白さを楽しんでいる暇など、子どもにも若いもんにもないのではないか。
 年寄りの話ってやつは、ランダムアクセスは出来ないし、早送りも出来ない。リピート機能だけは、しっかりというか、壊れたみたいに働くという、いわゆる口承の時代の遺物みたいなものなのだ。
 というわけで、子どもに嫌われたくないという過度の自己防衛反応が働くご老体が増えてしまうと、戦争体験の伝承も途絶えてしまう。もっと語らなければいけないです、と熊日の美人記者森さん(大津支局長)も書いていた。

 絵本の読み聞かせが、ずいぶん普及してきたので、口承の文化も復権してくるかもしれない。いや、それとこれとは違う。ウォークマンが作り上げた個独聴の習慣は手ごわいぞ、という意見もあろう。
 結局、何が言いたいのだったか、ちょっと言い回しに凝っているうちに、中身がなくなってしまったが、ライヴな感じは伝わったでしょうか?

「爺さん、ビールをもう一杯どうだい」