夕刊は無用だという人も多い。
でも、ないとなんか寂しいという人です、私。
9月1日の熊日夕刊、ご存じ高橋秀実氏の「テレビふぁいる」は、
話題のドラマ「官僚たちの夏」を俎上に。
高橋氏は、毎回見ているみたいだが、
毎回こう思う、と。
「だから何?と」
「官僚たちが何を戦っているのか、
いまひとつよくわからない。
『日本人の誇り』やら『サムライだ』などと
暑苦しいセリフを振りかざしているだけで、
戦いというより、仲間内でサムライごっこをしていたように
思えてくるのである」
私の感想は、こちら。
私は、テキスト・ドラマという定義を発明したが、
氏いわく、キャリア官僚の酒飲み談義を
「そのままドラマにしたようで、
ストーリーの構成も省内文書のごとく分野別に
そつなく整理されており、面白みに欠ける」
と書いている。
見た目の重厚さに騙されて、ドラマとしての深みのなさに
気づいていない視聴者は多いだろう。
そういうふうに、国民は軽んじられてきたのだが、
実際、キャリア官僚自体が、
「実業界をミスリードしたのではないかという
疑問すらわいてきた」という氏の猜疑がよくわかる。
今井舞も、このドラマに関しては、鋭い指摘をしていた。
以下、週刊文春8月6日号から引用。
「ドラマとしての札はすべて揃った。完璧だ。
なのに、見ていてイマイチ面白くないのは何故なのか。
それは、全部が「説明ゼリフ」で進行するからだと思う。
登場人物たちは全員、自分の立ち位置の説明を、
セリフ形式で朗々と謳っている」
だが、人間、説明調で話さないかというと、
そうも言えない気がするのだが・・・
本来もう少し時間をかけて、1年ぐらいかけてやるべきドラマなのだ。
そうすれば、政官業のトライアングルを正当化できたのに。
あ、それじゃいけないのか(笑
I can not see clearly when autumn comes.