今日の熊日夕刊の「深よみTV」に、
NHK連続テレビ小説「てっぱん」について、
放送作家の山田美保子さんが書いている。
「あらためて『てっぱん』は、
朝ドラらしいドラマだったと思う。
普通の人たちの日常を描き、
そこにはお互いを思い合う心がたっぷり詰まっていた。
そんな人間関係の温かさは、
震災で不安を感じている視聴者を
癒してくれたのではないだろうか」
おばあちゃんが覚書を書いた日付は、
平成22年10月だった。
このことは偶然とはいえ重要である。
これが、平成23年3月11日以降の日付であったら、
いくらフィクションであるとはいえ、
まったく別の世界の話になったことだろう。
つまり、この阪神以後、東北以前という偶然が、
このドラマを不思議な均衡の上に成り立たせている。
半年で終わらなければならないので、
よく考えれば、ずいぶん荒っぽい省略もある。
あかりが、自分が両親の実の娘でないことを知って、
あんなにも簡単に納得するものか、とか、
実の父親が、あっさりアメリカに帰ってしまうのも、
なんだかなあ、と思わざるを得ない。
しかし、それらは数多ある仕掛けの一つひとつに過ぎない。
我われが確固としたものと考えている日常も
実は(「一瞬に」は大げさだが)、
およそ数時間で壊れてしまうこともある。
おとなになるまでには、また年を経るごとに
大なり小なりそういう経験を重ねるものなので、
こういうドラマの中でぐらいは、
善意の積み重ねであってほしいと願う。
この震災の前に
「タイガーマスク現象」と「てっぱん」があったことは、
ほんのわずかとはいえ、
救いだったと考えてもいいような気がする。