上野千鶴子著
『女ぎらい―ニッポンのミソジニー』
紀伊國屋書店刊
一言で、たいへん勉強になりました。
何かにつけ腑に落ちることばかりで、
これ1冊でオッケーか、
もっと勉強しなくちゃな、のどちらかになるだろう。
評価しない人もいるので、
評価する人や大筋も含めて、
アマゾンのカスタマーレビューは参考になる。
私は、どうでもいいようなことを2点。
一つは、男2人に女が一人の映画。
若い人には全然ピンと来ないと思うが、
『冒険者たち』
とか、男が一人前の男であるためには、
もう一人の男にそう認証してもらわなくてはならず、
そのために一人の女が必要であった。
と、そういう説明のつく映画だったのだろうか。
そう言われればそういう気もする。
もう1点は、
イ・ビョンホンの週刊誌インタビューを
引用した部分があったのだが、
自分が守ってやりたくなるような女性が好きです。
と言ったから云々の箇所。
その週刊誌の記事自体、
ビョンホン君が、日本の女性向けに
リップサービスでそう喋ったのか、
もうちょっと違うニュアンスだったトークを
記者が日本の女性に受けると考える言葉に
置き換えた疑いもあるのに、
きちんと書かれた文章と同等に扱っている。
そこがちょっと・・・
いずれにせよ、
確かにイ・ビョンホンならそう言いそうだと
納得してしまうから、それでいいのかもしれないが。
本筋とはまったく関係ないけど、
「神話」についての定義に面白いものがあった。
フーコーの引用と思われるが、
「権力のエロス化」という章にある一文。
◇官能とはまさしく教育され、学習され、陶冶され、
コントロールされるものだからである。
性的官能においても例外ではない、
「官能」が「自然」であり、「本能」であり、したがって「歴史」がない、
というのは近代の性の神話というほかない。
ここで「神話」というのは「根拠のない信念の集合」の別名である。
最後の部分、神話とは「根拠のない信念の集合である」
という箇所。
原発に関わる「安全神話」なるものの、
正体もまた、そうだったんだなと気づいた次第。