今議会の私の一般質問の目玉は、図書館である。
である、と偉そうに書くほどのことではないが、
私には図書館に育てられたと自負があるからだ。
私が通った熊本県菊池郡大津町立大津小学校は、
現在の大津町役場庁舎駐車場と
その南側オークス広場の辺りにあった。
3,4年生のときに新築のRC造校舎に立て替わったのだが、
私の図書館体験は木造の旧校舎時代に始まる。
もったいないので、その話は別の機会に譲る。
さて、飯島朋子著日本図書刊行会刊
『映画の中の本屋と図書館』がヴィーブル図書館にある。
その第45章で『タイムマシン』が取り上げられている。
この作品(2002年)では、2030年のニューヨーク公共図書館を
体験することができる。
簡単に言うと、ホログラムとグーグルが合体したようなものだ。
他にもいくつかのSF映画における図書館の例が挙げられるが、
教訓として、記録がなければ、あるいはそもそも答えがなければ、
いくら先進的な図書館であっても求めるものは得られない。
図書館とはそこにすべての答えがある場所ではない。
それは、グーグルでもウィキペディアでも同じことだが、
それらは手段であって、結局答えを得るには、
想像力をはじめ、自他問わずその能力に任せるしかない。
もう一つ、映画『マッドマックス・サンダードーム』で、
未来の図書館的なものの一つの形を見たことがある。
すっかり非文明化した人類の子どもたちが、
伝承の歌の中に彼らの記憶をとどめているというものだ。
それはそれは感動的なシーンが用意されていて、
教育というものが小賢しい理論ではないことを
思い知らされるのだ。