最近つくづく思うのは、川の本来の美しさと治水とは、
相反するものではないかということです。
白川の小磧橋から下流は、
橋を渡るとき(明午橋、子飼橋なども含めて)、
よく目にするのですが、
通常流れる川の水の少なさに驚きます。
大雨のときに、増水した川の水を、
海まで一気に流すのが治水ですから、
普段は水位が低いのが当り前。
でも、もうそれは川と呼ぶのがむずかしいくらい、
中洲部分とか草の生えた所の方が広い。
堤防部分の高さが、いやに目立ってしまって、
あれで川に親しむなんてのは、
虚偽以外の何物でもないと思います。
しかし、これはある意味、
仕方がないことであるのも承知しています。
河川改修というのは、手をつけたら、
途中でやめることの出来ない事業だからです。
弱いところ(未改修部分)を攻めるのは、
川に意思があるからではない、それが自然だからです。
Then and Now : 「ハンド・トゥ・ランド」読者欄、不採用。
同様投書を書いた記憶もあるのだが。
ひょっとすると、「晴れ永遠」に以前載せたのかも。
10年以上前だと思うが、
白川のもっと上流の鳥子川橋(そんな名前だったような)の際で、
法長5mほどの護岸のブロック積みが、
未改修の部分から回り込んだと見られる濁流の水圧で、
擁壁の形のまま、ものの見事に
前方に倒れていたのを目撃して、
実感したことが元になっています。
―― * ―― * ―― * ――
Here Today : もとの文章は、2002(平成14)年1月1日に
書いたものです。→リンク
顛末はThen and Nowに書いた通り。
この時点での10年前の大雨による被害は、
1990(平成2)年の「7.2水害」のことだったようだ。
今朝の熊日の記事を読んでいて思い出した。
当時、コンクリート製品の工場に勤めていたので、
その災害復旧で出荷が急増したのだった。
亡くなった松岡利勝さんは、その頃どうしていたんだろうと
検索してみると、ちょうどその年の2月に
衆議院議員に初当選したばかりだった。
相反するものではないかということです。
白川の小磧橋から下流は、
橋を渡るとき(明午橋、子飼橋なども含めて)、
よく目にするのですが、
通常流れる川の水の少なさに驚きます。
大雨のときに、増水した川の水を、
海まで一気に流すのが治水ですから、
普段は水位が低いのが当り前。
でも、もうそれは川と呼ぶのがむずかしいくらい、
中洲部分とか草の生えた所の方が広い。
堤防部分の高さが、いやに目立ってしまって、
あれで川に親しむなんてのは、
虚偽以外の何物でもないと思います。
しかし、これはある意味、
仕方がないことであるのも承知しています。
河川改修というのは、手をつけたら、
途中でやめることの出来ない事業だからです。
弱いところ(未改修部分)を攻めるのは、
川に意思があるからではない、それが自然だからです。
Then and Now : 「ハンド・トゥ・ランド」読者欄、不採用。
同様投書を書いた記憶もあるのだが。
ひょっとすると、「晴れ永遠」に以前載せたのかも。
10年以上前だと思うが、
白川のもっと上流の鳥子川橋(そんな名前だったような)の際で、
法長5mほどの護岸のブロック積みが、
未改修の部分から回り込んだと見られる濁流の水圧で、
擁壁の形のまま、ものの見事に
前方に倒れていたのを目撃して、
実感したことが元になっています。
―― * ―― * ―― * ――
Here Today : もとの文章は、2002(平成14)年1月1日に
書いたものです。→リンク
顛末はThen and Nowに書いた通り。
この時点での10年前の大雨による被害は、
1990(平成2)年の「7.2水害」のことだったようだ。
今朝の熊日の記事を読んでいて思い出した。
当時、コンクリート製品の工場に勤めていたので、
その災害復旧で出荷が急増したのだった。
亡くなった松岡利勝さんは、その頃どうしていたんだろうと
検索してみると、ちょうどその年の2月に
衆議院議員に初当選したばかりだった。