私はこのブログ上で、熊日と略して表記しているが、
正式には熊本日日新聞という。
ローカル紙なので、地元の話題はもちろん多い。
合志市のことは主に熊本都市圏というページに載る。
地域の話題が何かしら記事になると
(事件性のあるものは別だろうが)市民としては
うれしいものだと思う。
しかし、人口で12倍以上の熊本市と比べると、
どうも扱いが対等でないような気がすることもあるが、
それはやっぱり、自治体としての規模が違うので
素材の量的なものとか、仕方がないところもある。
ただ熊日の読者をはじめ、合志市民としては
どうも差をつけられているようで、くやしいかもしれない。
では、なぜ新聞紙上に掲載されることに意味があるのか。
それはその新聞社がその編集方針に則って取り上げるので、
社会的に価値あるものとしての証明であるからだと思う。
ただ忘れてはならないのは、
ニュースの取捨選択をするのは熊日であり(他者の場合も同様)、
その日その日の他の記事とのバランスもある。
あくまで独立した報道機関であり、
自治体のニュースではあっても、
そこの広報ではないということだ。
しかし、住民というのは先ほども書いたように
無意識のうちに、熊日の記事であるということで、
公共性と共に、そこに権威づけを感じているものだ。
広報こうしに載るよりも
熊日に出た方が、より印象づけられるし、
さらに立派なことに感じられると思う。
本題はそういうことではなかった。
幸山政史熊本市長のコウヤマノートについて。
熊日の記事にもなったが、
熊本市の事業仕分けについて、
自分のホームページでも書いている。
2回目の事務事業外部評価会議→リンク
個別の案件は当然、そこで言及すべきことではない。
しかし、報道された記事では伝わらない、
熊本市を代表する市長としての姿勢がうかがえる。
樋渡啓祐武雄市長のように雄弁である必要はない。
要所要所で、自分の言葉で語ることは、
政治家として大切なことだと思う。
熊本市民のみなさんも、そういうコウヤマノートを
ほとんどご存じないと思うので、ここに書いた。
読んでもらえればわかるが、私が驚いたのは、
超多忙だろうに、会場で議論を見守っていたこと、
それができないときは、Ustreamでチェックしていたというところだ。
言い方を変えれば、担当者のまとめと報告を
あまり信用していないのかもしれないが、
それだけ、市民の声に直接耳を傾けたいということだろう。
パフォーマンスだと突っ込まれることを予想してか、
パフォーマンスについての見解は前に述べている。
用意周到というべきか、実直というべきか。