そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

現実主義



合志図書館では、毎年かなりの数の蔵書が除籍となり、
リサイクル本として市民が無料でもらえる。
そのことの是非というか考え方については別にして、
私は上掲の本書の最初の形、
2000年に単行本として出版されたものを
運よく手にすることができた。

ダグラス・ラミスさんの名前は、
植草甚一責任編集だったころか、それより少し後の
雑誌「宝島」でときおり見かけていた。
今回、目を引いたのはそのものズバリ、
このタイトルである。

『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』
ごくごく単純に言って、経済成長がなくても
豊かな暮らしができることが私の理想である。
それでは国民の最低限度の生活を守れないことは
よく分かるから、やはり一定程度の経済成長は必要だ。

しかし、だ。経済成長がすべてを解決すると
信じて疑わない人たちを私は信じることが出来ない。

というつもりで読み始めたら、
「最近の日本国憲法第9条は現実的ではないという批判」について
第2章で書かれています。
「最近」というのはこの本の初版が出た
西暦2000年、平成12年当時のことです。

マッカーサー日本国憲法第9条を考えついたのは、
1945年の日本の現実を見た、
世界がまさに核の時代に入った時と場所だった。
広島、長崎まで行かなくても、あの時の東京を見るだけでもわかった。

 「この時代に、国家の軍事力だけで国民の命を守ることは、
 もう不可能だということ」


しかし、マッカーサー自身そのことをすぐに忘れて
すぐ普通の「常識」に戻った。
憲法が1年後回しにされていたら、第9条はなかった。
それほど

 日本国憲法ができた歴史的瞬間というのは、ひじょうに重要」

マッカーサーが普通の考え方に戻った時には遅かった。
憲法はできてしまえば取り消せない。
そう簡単に変えることはできない。

だから、自主憲法制定なる考えは、
実はアメリカという国家の自己都合による
日本に対する圧力であるという見方もできるのだろう。

交戦権について。

 交戦権というのは、戦争をすること自体の権利です。
 もっと具体的に言うと、戦争ならば、
 人を殺しても罪にならないという、特別な権利です。
 人を殺す権利なのです。

 兵隊が兵隊であるための、兵隊の基本的な「人権」

こそ、
交戦権であるとラミス氏は書く。
それは氏独特の思想ではなく、現実である。


とまあ、まだ途中までしか読んでいませんので、
今日はこの辺で。