そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

そういうわけさ、ハニー

昨日5月16日の熊日「新生面」は、
石牟礼道子さんの連載終了と水俣・福岡展のこと。

記事の中に「教訓、という言葉が使われる。
では、何を私たちは教訓としているか。
ひょとしたら、ただ〝消費〟しているだけではないか

と書かれている。

これは胸に突き刺さることばである。


教訓といえば、加川良。あ、呼び捨て・・・

2002年のライブらしい。
40年経って、なお切迫する歌詞の内容に驚く。

私は安倍晋三がもともと嫌いだった。
その理由となったのは、従軍慰安婦を取り上げたNHKに
乗り込んで抗議した事件がきっかけだったと思う。
NHKの報道の正当性に疑問を呈するのはいいが、
恫喝に近い形だったと記憶する。
当時は普通の国民と同じに、
ニュースの表面的な部分しか見ていなかったので、
安倍、中川両氏を好き嫌いで判断してしまって、
それからこっち、その印象が変わらないままというのは、
ちょっと大人げないと自分では思う。

もしどこかで直接面会することがあれば、
物腰の柔らかな、いわゆるいい人であろうことは
想像に難くない安倍晋三首相。
しかし、やっぱり立ち位置の違いはいかんともしがたい。

でもでも、安倍政権が打ち出したデフレ脱却、
経済再生政策が万が一順調に行くことがあれば、
思想的に合わなくても、やはり評価せざるを得ない。
しかし、憲法改正について同意することは無理。

国防軍集団的自衛権
アメリカとともに戦争をやるためと言われる。
自民党は何も戦争をするためではなく、
国家を、日本という国を守るためと言うだろう。
国家とは何か、というところで、
おそらく、彼らと分かり合えることはまったくない。
向こうもそう言い張るだろうが、
私も自分が間違っているとは思わない。
お互い、正しさという基準で図れないところである。

憲法改正の足掛かりとして、
96条を変えようという主張に反対する。
自民党憲法改正草案にも反対である。
その理由は、反対する多くの意見と同じなので、
そちらを参照してください。

最初に戻ると、
消費されてしまうものは、
教訓と呼ぶこと自体が間違いなのではないか。
それにしても、あの頃のフォークソング
共鳴してしまった高校生なので、
それが悪かったのだと言われても、
右利きが左利きにはそう簡単に戻らない。

そういうわけさ、ハニー。