そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

熊本詩人会

6月2日 日曜日

熊本県民文芸賞に入賞したこともあって、
熊本県詩人会の総会に誘われた。
総会に行くということは、つまり入会するということである。
いよいよ、元詩人から、現役詩人と
世間的に認めてもらえるかと感慨深いものがあった。

とはいうものの、
谷川俊太郎さんが昔インタビューで答えていたように、
詩を書いているから詩人。ということだと私も思う。
だから滅多に書かない私は詩人と名乗りにくい。
いや、だからこそ詩人会に入ることで得るのは、
創作に向かう気力に違いない。
会が私に箔をつけてくれるわけではなく、
私が詩に対して残りの人生、
どれだけ真摯に向き合うか、ということに尽きるのだ、
ということに気づいたことがよかった。
ちなみに、詩を書くことが好きで、
向上心のある人は誰でも入会できるようです。

熊本県立大学副学長の半藤英明さんの講演もあった。
演題は「漱石『文学論』と萩原朔太郎」。
二人に接点はないが、
文学に接する態度と考え方に共通点が見られるというもの。

詩を書くということ、創作するということは
言葉の力で発信することで
読者に想像力を意識させ、
読者を育てることが詩人の役割なのだという話だった。

そう言われればそうだと思う。
私自身、あまり他人の詩を読まないので、
詩について語る資格はないのだが、
文学というもの、
そこに、そのままにあって文学として存在するものではない。
たとえは悪いが、誰かがその作品について
あーだこーだ語るからこそ価値が付加される。
そういうものなのだ。

自分のためだけの詩であっても別に構わないが、
それが誰かの魂を揺り動かすこともある。
揺り動かされた人が何かを語りたくなる。
そのときに文学と認知されるということなのだろう。

別に人に理解されなくてもいいもんと
思いながらも、実は私は承認欲求が強いのだと思う。
だったら、詩人として精進しなくてはね、
と思ったことでした。