そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

社会交流会館・歴史資料館

今日は、菊池恵楓園の社会交流会館で
ボランティアガイドの学習会でした。
社会交流会館は小さい字で「歴史資料館」とも表示れていますが、
ハンセン病と菊池恵楓園と入所者の歴史が展示してある場所です。

講師は同館の学芸員の原田さん。
今日は学芸員の仕事というものを改めて知ることとなった。
もちろん図書館司書とは違う資格だというのはわかるが、
博物館法によるものなのだ。
原田さんいわく、資格を得るのはそれほど難しくはないが、
それで仕事を得るのは非常にむずかしいと。

学芸員として恵楓園でやるべき仕事と、
ボランティアガイドの果たす役割について、
原田さんから課題整理の提案が出された。
それはボランティアガイドの束縛のない位置づけが
これから先もそのままでいいのかという問題だ。
ボランティアガイドは入所者自治会の依頼を受ける形で
活動をしているが、その自治会の活動が停止することになったら、
菊池恵楓園の歴史を世の中に伝えていくガイドの役割も
一つの終わりを迎えることになるかもしれない。
それどころか、社会交流会館という名称の場所自体が
なくなってしまうかもしれない。
そういうことなのだ。

菊池恵楓園の将来構想を考える際に、
ひょっとしたら、多くの関係者からすっぽり抜け落ちているかもしれない、
歴史の継承という側面。
それはわかりやすく言えば一次資料的なもの。
証言の数々。そして私たちがそこから学んだこと。
私たちが今の時代に、過去を学ぶことから得る思いの数々は
それがはっきりとした形にならないまでも、
それもまた歴史の大きな流れの中では
優れて一次資料的なものとして残すべきなのではないか。

過去の遺物にも存在意義はある。
いや、そこからは、時代を超えて次々に湧き出でるものがある。
学びとは、汲めど尽きせぬ思いをそれぞれが抱くことだ。

ボランティアガイドとしての活動には
メンバーそれぞれ思うところがあるだろう。
でもこのアクティビティを継続させることの重要さは
もう一度しっかり確認すべきことに違いない。
それはガイドだけの問題ではなく、
国や県、市がどのように関わっていくのかということである。