そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

ガイド・ミー

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菊池恵楓園のボランティアガイドの日だった。
合志市立西合志東小学校5年生の児童たち、
4クラスで約160名。
1クラス40名は多い。
それは文科省の定める基準いっぱいだからそう感じるのか。

まず最初に恵楓会館で1時間ほど、志村さんの講話を聞いた。
もう何度も志村さんの話を聞くが、
以前とは、話の流れが変わってきている。
先週の杉野さんも児童からの事前の質問に答えるという形だった。
合志市内の小学生だからということなのだろうか。

「(園から)逃げた人はいますか」という質問が、
自分が退所して、養鶏場を作ったときの話や、
移動(異動)証明を園長に出してもらったいきさつなどに、
もちろん話題は広がっていく。

いろいろな団体を案内するけれど、
地元の子どもたちには特に、自分たちの生活圏に
ハンセン病の療養所があって、そこには
病気のことだけではなく、差別の歴史があったことを
しっかり学んでもらいたい。
子育て支援日本一」で両親が合志市を選んだという家庭もあるだろう。
その政策は、偶然出て来たというより、
実は連綿と続く合志市の歴史の中で、
選ばれるべくして取られた政策なのかもしれない。

案内しながら、何を語るべきなのか、と思わないではない。
ガイドブックにある歴史資料的な記述でいいのか、
もっと感情に訴えるような言われなき差別のことにすべきか。
私はあまり上手なガイドではないのだけれど、
何を話そうとか、自分の立ち位置とか、
それこそ、菊池恵楓園の将来に向けて何をなすべきかなどと、
様々に思いを巡らしながらのガイドである。

歴史名勝を解説するだけのガイドだったら、
よっぽど楽だろうなと思わざるを得ない。
(いえ、全国津々浦々のガイドさんがそうだと
言っているわけではありませんが)
数十年後は、事実を淡々と語るだけになっているのだろうか。
そのとき私は、もはや生きていないと思われるが、
同じ過ちを私たちが繰り返していないことを
いま切に願うものである。

写真は、社会交流会館(歴史資料館)前。
見学が終わってクラスごとに、
菊池電車の再春荘前駅に向かう生徒たちです。