西部ガスが「&and」というPR誌を出している。
2001年当時、村上春樹が「僕がいた場所」という
エッセイを連載していた。
隔月発行で、2001年7月に出た第100号は、
「親密な街としての神戸」というタイトル。
単行本に収録されたのかもしれないが、
初出のいいところはカラーであり、
版型もその雑誌の大きさであるところだ。
そのサイズと紙質を前提として書かれた文章である。
この文章もムラカミライクになってきたところで、
最初と最後を引用する。
「人生には必ず分岐点がある。『あのときたまたま
こっちに来たけど、もしあっちに行っていたら、
人生はがらっと違ったものになっていただろうな』
というような、決定的なポイント」
「結局のところ、僕らの人生というのはみんな、
ひとつの幻想からもうひとつの幻想へと移動していく
過程に過ぎないのではないかと
「結局のところ、僕らの人生というのはみんな、
ひとつの幻想からもうひとつの幻想へと移動していく
過程に過ぎないのではないかと
思えるときがある。
避けがたい分岐点がやってきて、ひとつの幻想が消える。
そしてそのあとに、ひとつの記憶が生まれる」
うーん。この文章は、言わせてもらえば、
うーん。この文章は、言わせてもらえば、
フィッツジェラルド節ではなかろうか。
ふと自分の30代のことを振り返り、
もっと人に対して、やさしく接していればよかったなと思った。
もっと人に対して、やさしく接していればよかったなと思った。
若かったし、仕事に追い込まれてもいた。
現実の中でもがいているときにはわからないが、
後に残るのは、記憶という幻想のみだ。