そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

私と菊池恵楓園

昨夜は、合志市総合センター「ヴィーブル」研修室であった
合志市解放教育研究会の例会に招かれた。
本題は、菊池恵楓園退所者の会「ひまわりの会」会長の
中修一さんの講演だったのだが、
人権問題として、ぜひハンセン病のことを改めて学んでほしいと
提案していたこともあって、報告として
「私と菊池恵楓園」について語る時間が用意してあった。

15分ということだったので、
何を話そうかと考えないでもなかったが、
父と叔母が再春荘病院に勤務していたこと。
隔離政策に疑いを持っていなかったことだけは言おうと
思っていたのだが、それ以上は語り始めたらきりがない。

ボランティガイドとしての話もしたのだが、
顔見知りも多かったので、やりにくかった。
後でいつもの3倍ぐらいの参加者だったとのこと。
それは大げさかもしれないが、50人以上はいたような。
話すことで、自分の考えの曖昧さがよくわかるところはいい。
メモを取っている人を見て、責任を感じた。

あくまで露払いだったので、
あれでよかったのかどうか、
正直な感想を聞きたいところ。