昨日のハンセン病問題講座で、
原田学芸員が取り上げた療養所における
看取りと野辺送り、葬儀に関わる問題は、
核家族と少子高齢化の現在から将来に渡り、、
必ずしも療養所内だけのことではないと思える。
昨年の5月17日の熊日読書欄に上野千鶴子著
『ケアのカリスマたち』についての書評が載っており、
その中に「いったい誰に看取ってもらえるのか」という一文があった。
同じページにはカズオ・イシグロの『忘れられた巨人』の評があり、
豊﨑由美さんが『わたしを離さないで』に言及していて、
ふと思い出した。
最近テレビドラマ化されたものを見ていたときに、
連想していたのだが、『わたしを離さないで』には、
介護人という仕事が出てくる。
これは、文字通り介護保険における介護福祉士的な役目と同時に、
ハンセン病療養所菊池恵楓園における看取りを務める
世話人という互助的な仕組みに近く、
また書評だけで判断するのはどうかと思うが、
『ケアのカリスマたち』で描かれる「理想の在宅死」に重なるものを感じさせる。
もちろん『わたしを離さないで』では臓器提供という要素があるので、
単純に結びつけることはできないが、
ドラマの最後の回で、綾瀬はるか演ずるヒロインが語っていたように、
(正確な言い回しではないが)遅かれ早かれ、
死と別れは誰の身にも訪れる。
家族や故郷から隔離された無念さは計り知れない。
しかし、死に臨んではみな等しいと言うことはできるのではないか。
私の父が、結核療養所に勤務していたとき、
患者さんが亡くなっても、遠方の家族はすぐに駆け付けられないので、
霊安室で線香の番をすることも仕事のうちだと言っていた。
飛行機や新幹線などの交通手段が整っていない頃のことだ。