読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

保守派

京都精華大学人文学部専任講師である白井聡さんが、
2016年12月26日「京都新聞」夕刊に書いた文章を
ヤフーニュースで読んだ。

bylines.news.yahoo.co.jp

 

このリンクがいつまで残るかわからないので、
肝腎だと思われる部分を引用する。

「奥野氏の態度が子供じみたものにすぎないことは、
彼が終戦時に内務官僚として大量の公文書の焼却に関わり、
そのことを恥じる気配もなかったという事実によって
裏書されている。その意図は、
戦争犯罪の証拠を占領軍から隠すことにあった。
この行為は、現在も歴史論争を混乱させる要因となっている
という意味で禍根を残しているのだが、
『奥野的』な保守派的主張ののっけからの破綻を運命づけている。
『我が国に正義はあった』と確信するのならば、
証拠を焼く必要はなかったはずである。
『勝者が敗者の言い分を認めるわけがない』という言い訳は、
到底成立し得ない。義を確信するのならば、
『不当な罰』を受ける可能性を引き受け、
いつの日か義が認められるよう証拠を残すのが
当然の行為だったはずである」

奥野誠亮氏が政治家として果たした役割もあっただろう。
しかし、いま平成28年12月現在のわが国において、
いわゆる保守が意味するものを考えるとき、
白井聡氏の言わんとすることが正しいと私は思う。