10月7日熊日夕刊の「私が選ぶもの17衆院選」に
長野県短大准教授 瀬畑源さんのインタビューがあった。
「安倍政権を揺るがした森友・加計学園の問題は、
この国の公文書管理のずさんさをあらわにした。
公文書管理に基づけば、本来残しておくべき文書なのに、
関係省庁は『ない。と破棄した。公文書ではない』
と言い続けた。民主主義の根幹に関わる事態だ。
情報公開と説明責任は、衆院選の争点だと考える」
私もそう思うのだが、
内閣総理大臣がそう思っていないので、
その回りの人たちもそれでいいのだと考える。
官僚はあっても出すわけにいかない。
しかしそれでは良心の呵責を覚えるようで、
内閣官房の文書管理の検討チームは、
「正確性確保」の観点から、残す文書の内容を
内外の関係者が確認し合う方向である。
私もその報道に接して、それをさらっと流してしまう
マスメディアって、馬鹿なのかと思った。
瀬畑さんはこう言っている。
「一見、正しく見えるが、今回の疑惑につながったような
都合の悪い文書は、示し合わせて残さないようにできる
可能性をはらむ。何を残すか、恣意が働いてはならない。
権力者にとって”きれいな文書”だけになれば、
歴史的価値も疑われる。それぞれの立場で文書を作り、残し、
国民がどうあるべきだったかを判断するのが筋だ」
なぜ歴史的な価値が重要かというと、
同じ過ちを繰り返さないためであり、
今日より明日、
少しでもより良い政策を実現するためではないか。