そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

今日行く明日来る

森友学園加計学園問題は、いずれも学校教育に関係する。
教育だけが岩盤規制というわけではないが、
ドリルで穴を開けやすい部分であったのかもしれない。
許認可等に裁量や恣意的な判断が入り込みやすいというか、
例えば許認可が適正であったのかどうかの判断や評価が
どういう形でなされるのか、観点と同時に時間がかかる。
つまり結果オーライとなる可能性が高いと言える。
だからこそ、投資はなるべく抑え、持続可能性を設置者が求め、
時間をかけて育てていきたい事業となる。
森友学園の小学校と加計学園獣医学部では
なんで少子高齢化の今、学校なのという部分では似ていても、
真の目的はそれぞれだろう。
ただそこにつけ入る文教族や私から言わせれば「偏向教育」を
教育の理想とする団体の人たちが絡んできたと思われる。

最終的な責任は安倍首相にあると私は考える。
直接支持を出したかどうかではなく、
物ごとを軽く見ていることの責任である。
その一番わかり易い部分が目に見える場面が毎度国会中継にある。
激昂したり、議員も総理も辞めると切れるところではない。
「いま私が答弁しているから、ヤジは止めてくださいよ。
冷静に議論しましょうよ」などと泣きを入れる場面である。
政治的な議論を貶めていることに気づいていない。
自分の姿を客観的に見ることができていない。
つまり、言い逃れを繰り返して、嵐の過ぎるのを待てばいいと、
それが処世であり、政治であると体現しているその責任である。

だから、なぜか「ないない」説法に誰もが陥り、
それを補強するために公文書の改ざんまで、
官僚達の能力と才覚と時間と、莫大なコピー代まで消耗した。
やる気を無くさせた上に、自ら命を断った人も出た。
他にやることがあったのは、追求した野党国会議員ではなく、
与党と政府の皆さんであることは間違いない。

安倍首相はなぜ、あそこまで物ごとを甘く軽く見るのだろう。
森友加計と教育がその修羅場になったことは象徴的である。
教育を自分たちの意図する方に曲げれば、
世の中はすべてうまく行くと考えるならまだしも、
教育を印刷したての教科書みたいに揃えれば、
美しい国がそこに出現すると考えている節があることだ。
つまり曰く言い難い理想を掲げることで、
日本は再び輝くという思い込み。
そうでないと反論するには相当な説得力が必要だと思われるので、
それの何が悪いと居直った方が楽ですよと助言しておきたい。