新聞整理がやっと2019年12月に入った。
明日から所管事務調査で3日間熊本を離れるので、
ちょっと停滞する。
さて、2019年12月というと桜を見る会問題が
もっとも盛り上がっていた頃である。
どうやって安倍晋三が逃げ果せたのかはこれからである。
細かいところは覚えていないので、それが明らかになる。
というか、いよいよ新型コロナが登場するころでもある。
もうちょっと、きちんとした論評をしたいものなのだが。
週刊文春
世界的作家の村上春樹がまだそこそこの人気の頃から
ファンでした。今はそれほどでもありません。
村上さんのエッセイが好きで、小説も読むようになったのですが、
いつのころからか、氏はエッセイの仕事を辞めてしまった。
エッセイの仕事を受けると、ネタ探しに明け暮れるので、
小説家としてはちょっと、という理由だったが、
確かにエッセイを止めて以降、小説家としてはさらに
ビッグネームになっていったので、その選択は間違っていなかった。
さて、部屋を片付けていると、週刊文春のバックナンバーが何冊か出てきた。
私は週刊文春の政治ネタの文春砲は凄いと評価しているのだが、
全体的にあの斜に構えたスノッブさが嫌いである。
しかし、読むところは非常に多く、特にエッセイの類は
忘れた頃に読むと、さらに味わいを増してくる。
はい、ここで出だしの村上春樹がつながるのでした。
だから、処分せずにもう少し置いておくかと思った。
まあ、数冊だから。
集まる場所が必要だ
「なぜ、多くの政治家や役人は、図書館の価値と、社会的インフラとしての役割に気づかないのか。ひょっとするとそれは、『すべての人には、自分が共有する文化と遺産に無料かつオープンにアクセスし、自分が適切と考えるあらゆる目的に使用する権利がある』という図書館の基本理念が、現代を支配する市場の論理と相容れないせいかもしれない(もしすでに図書館が存在していなかったら、現代のリーダーが図書館を新たに発明したとは考えにくい)。また、現代の有力者の多くが、図書館がコミュニティで果たす役割や、もっと支援があれば果たせる役割を理解していないせいかもしれない」
『集まる場所が必要だ』エリック・クリネンバーグ著 藤原朝子訳
英治出版刊からの引用です。
最初、図書館の役割が、市場の論理と相容れないせいかもしれないという部分に共感したのだが、引き写しているとそこではないよなと思った。しかし、それは私がそう感じただけで、案外真実を突いているかもしれない。
なにせ、無料で利用できるのだから。
民間の知恵や活力を声高に言う人は信じられない。
民間といっても、ある事業を回すための経費は売上に含まれている。
それが税金という形なのが、いわゆる公共事業というものだ。
効率的かどうかは、それが働く人の手取りに反映されやすいかどうかである。私はそう考えている。
一段落
「一段落」は「いちだんらく」と読む。新明解さんでも
「ひとだんらく」はなかったので、それが標準なのだろう。
なんとなく検索してみたら、NHK放送文化研究所の記事に
どちらの読み方だろうという記事があり、
近年「ひとだんらく」も出てきているが、「いちだんらく」が
伝統的な読みだということが書かれていた。
私がそれを意識したきっかけは、「ひとだんらく」読みが
方言であるとどこかで目にしたことがあるからだ。
もうずいぶん前のことだけれど。で、
なんでそれをここに書いたかというと、今日で風の便り配りが
文字通り一段落したからに他ならない。