そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

パブリック・コメント「第7次熊本県交通安全計画」に寄せて~7/11/2001・k227

計画の基本的な考え方
第1章 第2節 2.交通安全思想の普及徹底について

「交通安全意識と交通マナーの向上」が、交通事故を減らすための遠い道のりではあるが、確実な手段、いや切実な方法であることは疑いありません。
 しかし、異論はないものの、この本文には、交通事故における最大の凶器である自動車を運転する際に必要な、運転免許証を取得するときの教育、すなわち、技術面の習得と学科、その後者について、あまりに小さい扱いしかされていません。
 これはたいへんおかしい。
 小学校から中学、高校、大学と、子どもたちの成長に合わせ、家庭と学校と地域で、交通マナーの前提となる、社会における「マナー」、あるいは「しつけ」というものが、ちゃんと教えられていないから、交通マナー(あるいは運転マナー)が、どんどん悪くなるのではないでしょうか。
 ですから、この現状を変えるには、緊急避難的に、自動車教習所でそのマナーを教えることが、これ以上の交通環境の悪化を食いとめる一助になると私は思います。
 たとえば、アイドリング・ストップの意義を教えてごらんなさい。小学生のときに習う環境問題と、成人するころに学ぶそれは、事の重大さが違うと思います。この例は、交通安全そのものには関係ないかもしれませんが、教育を広く捉えると、一石何鳥にもなる教え方がある。それが交通安全教育ではないでしょうか。
 教習所は、少子化で経営が厳しくなって来るでしょうから、生徒に優しい(易しい)、楽してパスできるところが、人気を呼ぶかもしれません。しかし、加害者養成所でもある教習所の中身を考えない限り、効果的な交通教育はむずかしいと思います。
 私が免許を取って、もう20年ほどになるので、現在どのような教育環境であるかは存じませんが「ゆずり合いの気持」を身につけてもらうだけで、世の中が変わりそうな気がします。

Then and Now : この交通安全計画に関する意見は、なんとこれ1件でした。パブリック・コメント制度が出来て間もなくだったので、周知されていなかったからだと思います。文章的にかなりおかしい箇所があったので、手直ししました。が、全面的に改めた方がよかったみたいです。
基本的な考えは変わっていませんが、今だったら多分送らないのではないかと思います。
世の中が変わりそうな気が、だんだんしなくなって来ました。