そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

ジェンダー・フリー as a bird

 熊本日日新聞夕刊に「スポーツと健康」を連載中の東大大学院教授の武藤芳照さんの文章は、映画や音楽からの引用があったりして、楽しくてためになるコラムだと思っていたのだが、第466回で、ジェンダー・フリーについての言及があり、ああこの人はこの程度の人なのか、と淋しい思いがした。

 ジェンダーフリーの正確な概念は知らないが、おそらく「男の子が男らしく育ち、女の子が女らしく育つとともに、お互いの違いを尊重、理解し合い、手を結び合うことこそが大切だ」と、氏が書いていることは、おそらく基本的にはジェンダーフリーの根底にある思想に他ならないと思う。ただ、氏は美辞麗句で教育を語る危うさに、お気づきでないようである。

 男の子の「男らしい」、また女の子の「女らしい」を決めつけることに問題はないのだろうか。

 また、ジェンダー・フリーを、「男の子と女の子の境界をあまねくなくすのがよい」とする人がいたら、その人は大きな勘違いの人であって、ジェンダー・フリーの理解者ではない、と私は考える。