映画『新・あつい壁』を電気館で見た。
年配の方が多かった。いろいろなところで、
上映協力券を買われたのだろう。
少し説明的過ぎるのではないかというのが、第一印象。
しかし、この映画は、商業映画ではなく、ましてや
エンタテインメントでもない。
アメリカ映画なら、同じようなテーマを、物語性を重視して、
差別というテーマをじわっと浮かび上がらせるという手法を取ったかもしれない。
しかし、予算とスケジュールとマーケットが違う日本で、
いや、差別そのものに対する意識の低い日本では、
こういう形で訴えるのが、いちばんいいのだろう。
もちろんドキュメンタリーではないのだが、
私はあえて、「記録」と呼びたい。
実在の事件の真実を探るということが目的ではないにせよ、
ハンセン病と隔離政策がなかったら、まったく違っていたことだ。
そういう意味で、フィクションであるにしても、
あの時代の記録としての意義は変わらない。
そういう映画だと私は思う。
あの時代と書いたが、
本当は、いつの時代でもあり得ることだと、
制作に関わった人たちは皆、思っている。
主人公のルポライターの青年役を日本人の俳優にしなくてよかった、
と書くと、いろいろ言われそうだが、
実際、映画として厚みが増した。
ところで私が、中山節夫監督の映画で好きなのは、『旅の途中で』です。
イランは、核に関連して、悪く言われっぱなしだけれど、
あの映画を見たから、どうしてもイランのことを悪の枢軸と思えない。
その国の文化を否定することは出来ないと思う。