そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

ミッドナイトアワー

人は何故、自己表現したがるのか。
それは、他者に認識してもらって初めて、自分の実在を確認できるからだ。
小学6年生の女児が、ブログに悩みを綴るうちに
それに応えていた青年のもとに家出した。
この事件は誘拐になってしまったけど、
ブログを通じて、心を通わせた気になる
という話は珍しくない。
この「その気になる」が、どれだけ切実かで、
社会的に容認されるかどうかが決まる。
ような気がする。
36,7年前、北山修が、パックインミュージックのパーソナリティをやっていたとき、
集まってくるはがきを読んでいるうちに
こういう互いの傷を舐めあっているような
関係は嫌だと言い出した。
前後の脈絡もあったと思うが、
そこだけが、私の記憶に今も残る。
「共犯」に「なれあい」とルビが振られていたのは、
サガンの小説の邦訳。
あれあれ、こんなことを書くつもりじゃなかった。
自分の気持や考えを表現するとはどういうことか、
について書こうとしていたのだ。
イン・ザ・ミッドナイトアワーに人は
意味もなく饒舌になってしまうのだった。