社会学者の鈴木謙介氏が、
2月6日の熊日に書いていた。
「評論・秋葉原無差別殺傷事件 初公判」
「社会学では、ある出来事の意味や原因は、
それを語る人々によって物語的に
構築されると考える」
「被告が真相を語る前から『格差社会のせいに違いない』とか
『犯人は非モテだったのだ」と解釈したがる人々の存在は、
私たちの社会が抱える問題や、
その兆候を示すものである。
その解釈が正しいかどうかではなく、
そう思ってしまう人たちがいることこそ、
この事件が私たちの社会に問いかけたものの
正体であろう」
ものは、名前をつけられて初めて、
この世に存在し始める。
人間の認識を得るには、名前という言葉で、
記憶され思い出されなくてはならないから。
何度も書くけれど、
「雑草という名前の草はない」という御言葉を思い出す
春爛漫なり。
The air is full of spring.