真木よう子については、
もうちょっと、何か書きたかったんだけれど、
昨夜は、一応更新しとかなくちゃね、という感じでした。
この8月で、熊日モニターの1年が終わった。
最後に、「熊日モニター会報」に
一人ひとりが、「最後にひと言」というメッセージを寄せた。
私はこう書いた。
「振り返れば1年は短い。
新聞記事を積み重ねれば
相当な厚さにはなるだろうけれども、
その日の朝刊の重さの方が
今を生きる実感である。
人間が旧式なのか、
新聞紙の手ざわりがそのまま
世の中に対する感触であってほしい。
夕刊を広げるときの、
今日も一日無事に過ごせたという個人的な安ど。
明日が明るい日でありますように」
そして、熊日を表すキャッチフレーズに
「寄り添う気持ち」と付けた。
この「寄り添う」は、最近の記事でもよく見かける。
そしていま、「共感」の時代とも言われる。
大阪万博のころだったか、
大阪で読売新聞の記者をしていた伯父が、
その年の標語に
「共感」とつけることになったと話してくれたことがある。
私は生意気にも、
「それは悪くはないけれど、
ちょっと早すぎるんじゃないだろうか」と
言った覚えがある。
あぁ、恥ずかしい。