以下、ウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞」の
「今日のダーリン」のほぼ全文引用です。
いまごろになって思うのですが、
小学校とか中学校とかの、
地域の同い年の子どもを集めて生活する場って、
なんだかとてもいいことだったんじゃないでしょうかね。
つまり、親がどういう仕事をしているかとか、
考え方が近いだとか、なにかに賛同しているとか、
成績だとかも、まったく関係なく、
「このへんの子を集めました」というだけですから、
めっちゃくちゃにいろいろの子どもがいるんですよね。
高校だとか、大学だとか、企業となると、
こんなにばらばらじゃないんです、おそらく。
ひ弱な子もいる、暴れん坊もいる、音楽の好きな子、
お金持ちの子もいる、生活の苦しい家の子もいる、
勉強のできる子もいる、まったく勉強しない子もいる、
商売している家もいる、会社員の子もいる、
親の支持政党もばらばらで、親の年齢もばらばらで、
食べているごはんもずいぶんちがいそう‥‥。
企業の大きな社宅があるとか、団地があったりすると、
そのばらばら具合はずいぶん減るのでしょうが、
それでもそれなりに、けっこういろいろだと思います。
誰でもその感じにはおぼえがあるのでしょうけれど、
ささっとイメージしたいなら、
『ドラえもん』みたいなマンガの登場人物を
想像すれば、わかりやすいでしょう。
趣味だとか生活環境だとか学力だとか、
ある意味では思想だとか信念だとか、
いろいろ「同じ」ということで、
集団というものは構成されやすいのですが、
それと「ともだち」かどうかって、
ちがうんじゃないかぁと思ったのです。
つまり、この「小中学校時代のクラス」みたいな
感じなんじゃないかなぁ、と。
「とにかくばらばらな集め方をする」って、
要するに、異文化交流の練習だっていう気がします。
これは、公立小中学校のことでしょうね。
私は、合志市議会で、文教常任委員なので、
まだ半年とはいえ、教育委員会関係、
学校教育、生涯学習、人権啓発などを
勉強してきたところでございます。
糸井重里さんみたいな、著名な方の
こんなにわかりやすい義務教育についての考えを
みなさんにご紹介できることは、たいへん意義深いことです。
これが、毎日更新されて消えてしまうコラムでなければ、
リンクしていたのですが、
残念ながら、これは9月24日分ですので、
明朝には消えてしまいます。
そこで、無断でコピペさせてもらいました。
私の「晴れ永遠」における、
こんなふうな
改行方法は、糸井さんの著書から学びました。
たいへんお世話になることが数あります。