そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

穢(ケガ)れた世界

1月3日の熊日田口ランディさんが、
水俣、福島、祈りの日。」という文章を寄せている。
その中に以下の部分がある。

放射性物質に心が汚染されると、
それまで自分が住んでいた世界は『穢れた世界』になっていく。
事故の前まで、世界は安全であたたかく
人を包み込んでいる馴染み深い場所であった。
でも、汚染のあとの世界は、
禍々しい毒をもった恐ろしい場所として
心に認識されるようになり、
元の美しい世界からあっけなく
人間を締め出してしまうのである」

私は「放射能がからだにいい」という言説を信じるわけではない。
しかし、放射線による害というものも、いまのところ
風説以上のものでもないような気がする。
チェルノブイリの前例があったとはいえ、
人類は放射線の有害さについて、
ほんとうに確かなところはまだ知り得ていないのではなかろうか。
それでなければ、諸説紛々などあり得ないと思う。

それは言い方を変えれば、
一旦事故が起きてしまえば、その与える影響を
ほとんど測ることができないような技術を
いかにも安全なように喧伝してきたいい加減さが
露わにになるということだ。
地震津波は自然災害なので、
その被害について想定外という逃げも
ある程度認めないわけではない。
しかし、想定外があるような技術を実用のものとし、
稼働させていたことの責任からは逃れられない。

ああそれなのに、それなのに、
原子力対策本部の会議の議事録が
事故直後の設置以来まったく作成されていなかった。
テープ起しがされていないとかではなく、
録音すらされていなかったということか。
放射線の影響で、磁気記録が消去されていた、
とかなんとか言い訳をすればよかったのに(苦笑)

昨日のテレビのニュースでは、
確か情報公開請求されて初めて、
「議事次第程度」しかなかったことがわかったと言ってた。
1月24日の熊日朝刊で森山善原子力災害対策監は
「会議の決定事項など重要な部分は
記者会見で説明し、かなりの部分は情報公開されている」
との見方を示している。
だったら、それらの公開された情報をもとに、
議事録を再構成する、と明言すればよい。
完璧ではないにせよ、そこまでやって
少しは責任を果たしたことになるのではないか。