そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

市民が主役、行政は後押し

また今日も元水俣市長 吉井正澄さんの
「わたしを語る」から。5月22日分、
「市民が主役、行政は後押し」の巻。

多分熊日出版から単行本になると思うので、
あまり長々とは引用しないので、
前後関係がわからず誤解されるかもしれないが、
出来たら図書館で、1次資料に当られることを願います。

「これらの経験から、人は危機感、不安感、
損得、趣味などで動くと感じた。
その動機はさまざまであるが、要は、
人は希望があれば動く、さらに自らが主体となると
さらに積極的に動くということを理解した。
民主主義の原点に返ることであった」

「そこで、市民を『主』に据えるために、
市がメニューを提示。
動きが見えたら、支援し、後を押す。
市民の行動に行政が参加する。
すなわち行政参加の市政を進めることにした」

ちょっとわかりづらいが、
市民の行動を前面に持って行くとともに、
行政の参加とは後押しであり、あくまで
主体は市民であるべきだということになるだろうか。


うまく行った事業については
自信を持ってそう言えるだろうけれど、
これは一筋縄では行かないと思う。
だからこそ「もやい直し」と言うんだろうけれど。

提示するメニューも、ダメ元的な
突飛なぐらいの発想が求められる。
それも掃いて捨てるほど。
またあまりにかわいい子は旅をさせたくなくなる。
そんな邪心も捨てなくちゃならない、というわけだ。

そうは言っても、
市民参加の原点は、市民の声に耳を傾ける。
広聴の態度であることを忘れてはいけませんね。