そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

髙瀬夜噺

先日まで熊日夕刊・きょうの発言に
玉名歴史研究会会長の森髙清さんの連載があり、
8月22日の回では「髙瀬夜噺(ヨバナシ)」のことが書かれていた。

私は玉名市髙瀬蔵で開かれている
「髙瀬夜噺」という講話会を主催しています。
玉名の歴史、文芸、自然などを題材に、
学者だけでなく農家や温泉旅館の女将さんらが講師を務める
市民手作りの教養講座です。
2002年に始まり、今年で11年目。
23日には108回目を迎えます。


実にうらやましい。
確か、玉名市髙瀬にある古い蔵を改築して
そこをまちづくりの拠点にしたときに始まったものではなかったか。
合志町以来「三つの木の家」という木造の宿泊研修施設が
合併して市になった現在も、
小学生の通学合宿等で活用されているが、
私の参加している合志まちづくりこうし隊も
そこを拠点にして、まちづくりを考えようという
そういうところから発足したのだった(と思う)。

まちおこし」が全国的にブームになったことがある。
全国の市町村やそれぞれの地域で、
ある時期一斉に活動を開始した。
なにか国の政策の影響があったのだと思うが、
よく覚えていない。
ムーブメントというのはどんなに激しく大きく燃え上がっても
それがいつまでも続くとは限らない。
それを担う団体のメンバーは入れ替わるし、
当初の目的が少しずつ変容するのも
その方が自然ではないかと思われる。
長く続いてもよし、次第に細くなったり消えたりするもよし。
ただビジネスとして成り立って今に至ることもあるので
やり方一つと言えないことはない。

ああ、そういうことを書きたいわけではなかったが、
ついそういうふうに展開してしまった。

合志市では毎年冬の時期に
市民大学という講座が開かれている。
私も2,3年前から参加するようになって、
勉強になることがたいへん多く、
郷土愛を強く持つ一因となってきたのであるが、
いつまでも生涯学習課の事業として任せていていいのか。
髙瀬夜噺みたいな教養講座を
市民の手で作るべきなのではないか。

講師をお願いするときに
やはり行政から頼んだ方がスムーズに行くということも
あるのかもしれないけれど、
そういう事業をいつまでも押し付けている場合でもなかろう。
腰の重い私であるが、
少し前向きに考えてみよう。

別にやらなくても、秋は来て冬は来る。
そしていつか寝たきりになってしまうかもしれないが、
私たちは人類として、狭く言えばこの地に住むものとして、
何かしら伝え残していくべきではないのか、と
思うものです。

森さんはこうも書いておられます。

講話が聴講者の共感を呼び、
さらにネットを通して交流の輪が広がることがあります。
とてもうれしい話です。

と。