そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

薬物依存症とそこからの回復

11月30日 金曜日

熊本県薬物乱用防止指導員研修会に参加。
保護司の中から、その指導員になる割り当てがあるらしく、
私にそれが回ってきた。
昨日の研修の講師は、
国立病院機構肥前精神医療センターの武藤岳夫さんで、
「薬物依存症とその回復について」というテーマだった。

日本での薬物対策は長年「ダメ。ゼッタイ。」という
乱用防止を主眼とした一次予防が中心だった。
また薬物乱用を「犯罪行為」という司法的な側面で
捉える傾向が強い、とも。

日本における薬物(有機溶剤除く)の生涯経験率は
なんと1.7%と、世界各国に比べて極端に低い。
参考までに覚せい剤系にしても
イギリスで11.9%に対して、日本は0.3%である。

確かにそれは効果を上げている。
他の先進諸国に比べると、薬物事犯が極めて少ないのは
薬物に対する厳しい社会規範認識や遵法意識が
高いからではないかと考えられる。

しかし、現実的には社会的なストレス、家庭の不和、
将来に対して希望が持てないための空虚感などから
逃れる手段として、さまざまな嗜癖(シヘキ)が問題となっている。
アディクション(依存症)と呼ばれるもので、
飲酒、ギャンブル、買い物、万引き、
リストカット、携帯、インターネットなど
こう並べると特に珍しいものではないような気がする。

しかし薬物乱用もその一つとして捉えられるというと、
いきなり身近な問題に感じられてくると思いませんか。
先生はそこでこうおっしゃる。

「わかっかっちゃいるけどやめられない」人に
「害」ばかりを伝えても伝わらないのではないか。

やめなくてはいけない、
このままではマズイと思ってはいるはず。

薬物依存症は病気として見られていないという現実。

学校では「非行」
司法では「犯罪」
地域では「厄介者」
本人・家族は「意志の弱いダメな奴」


病気として見るのは医療機関のはずだが、
依存症は専門性の高い分野と思われていて、
関わりたくないとする医師が多いそうだ。
わかるような気はするが、
今の世の中的に放っておいてよいはずがない。

依存症の「病気としての特徴」

・誰でもなりうる病気(意思・性格と無関係)
・慢性の病気
・進行性で、放っておくと死に至る病
・姿を変えて続く病気
・周囲の人を巻き込んでいく病気

また自殺の原因として精神疾患(うつ等)があるが、
その裏にアルコールの問題が隠れていることもある。
またア薬物依存が直接引き金になることも。
怖い。

しかし、慢性疾患である依存症は
例えば糖尿病において血糖をコントロールできるように
依存症も治癒することはなくても
回復は可能である。
ただ再発を繰り返すため、継続的な治療、支援が必要になる。

薬物依存症という「病気」としての視点、
正しい知識を持ち、
早期発見、早期治療に向け、
適切な対処の方法や相談機関を知っておくこと。

これが二次予防。

回復の過程における支援、社会復帰、
再発予防に向けた取り組みを行っていくこと。

それが三次予防。

熊本県では、
精神保健福祉センターでKUMARPP(クマープ)という
熊本県版依存症回復支援プログラム」が
昨年度の試行を経て、
本年度から本格的に実施されている。→リンク  


そして夜は、ヴィーブルで
合志市青少年教育特別講演会があり、
講師は作家で高野山真言宗僧侶の家田荘子さん。

タイトルは「子ども達のメッセージから学ぶ
“親育ち”に必要なこと」だったのだが、
昼間、薬物依存のことを勉強したばかりだったので、
家田さんが取材で会った少年の話が身に迫ってきた。
もちろん作家らしい誇張もあったとは思うが、
薬物教育の必要性を訴える彼女の思いは、
若い親御さんたちに伝わったであろうか。
特別なことではあるが、誰にでもあり得る。
そして慢性疾患である依存症にかかると
そこから抜け出すのは大変なことなのです。