そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

民度くらべ

今朝の熊日の「核心評論」は
「日韓サッカーと歴史認識」がテーマであった。
サッカー東アジア・カップ男子の韓国対日本の試合で、
スタンドに「歴史を忘れた民族に未来はない」という
横断幕が掲げられたという。
テレビで見たら、これがかなり大きい。
あれだけのものを作るのにかけられた情熱を思うと、
それが単なる意思表示という範疇にないように感じられる。

これを分析すると、まず気づくのは、
日本ではあまり使われない「民族」というワードである。
翻訳されているので、ニュアンスまでは分らない。
ただ日本では、普通「国民」とは言っても「民族」とは言わない。
裏付けはないが、「民族」というのは大陸的な印象を受ける。

問題はそれに対応した日本側である。
見過ごせないと思われても仕方がないが、
よくよく読むと政治的な意図は限りなくグレーである。
これを政治的な課題として日本政府が取り上げるのを見越して、
さらに問題にしようと企図していたかもしれない。

記事によると、
日本サッカー協会は主催者に抗議文を提出。
それに加えて、
菅義偉官房長官は「極めて遺憾」、
下村博文文部科学相が「その国の民度が問われる」と発言。
しかし、
「発言が相手国の国民感情を刺激する可能性も、また高い」
共同通信編集委員 小沢順氏は書いている。
FIFAのルールに任せるべきだという意見である。

「政治情勢が困難な時こそ、
それに乗じないところにスポーツの価値があり、
背後にいる国民の民度はむろん、政治の成熟度も同様に問われる。
相手へのリスペクトと自制の精神が必要なのは
ピッチの上だけではない」

この話題には、
実は日本の応援席で旭日旗を振る人がいたというおまけもあった。
いずれも事前準備が必要なので、どちらが先と言う話ではなく、
スポーツを政治的なプロパガンダに利用しようとする行為が
認められるかどうかの次元である。
スポーツの持つ宿命であるからこそ、
政府としては言葉を慎重に選ばなければならない。
慎重に選ばれて先の発言であるはずだが、
つい一歩踏み込んでしまうのは、
それを引き出そうとするメディアの責任でもある。

しかし、常に自制と自省が政治家には求められる。

ただね、なーんも考えず、
ナショナリストっぽい活動が今かっこいい、と
単純に考える若者がやったことかもしれないので、
表現の自由の先には、それに対する冷静な批評も必要だ。