そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

一枚の写真

3

菊池市の泗水総合庁舎に行くと、
花房台飛行場の戦争遺跡の展示があっていた。
米軍機や日本の戦闘機のモデルが立派だったけれど、
そのそばに、この写真があった。
え?旧泗水村郵便局前での記念写真。
ということは、局長だった私の祖父が写っているのではと、
眼鏡を外して、じっくり観察すると、
どうも矢印の男性が、祖父に似ている。
局長だから、真ん中にいても不思議はないのではないか。
当時、56歳ぐらいではなかっただろうか。
長男は学徒動員で南方に行き、
次男と三男は予科練にいたと聞いている。
次男が私の父である。
この飛行服の青年たちは、特攻で飛び立った。

大津町の私の生家には、配達されなかった手紙やはがきが、
未使用のはがきや切手とともに一抱えほどあった。
泗水を引き払うときに処分もできず、持ってきたのだろう。
無口で耳も遠かったので、何かを話したという記憶もない。
残ったのは私と、それに連なる息子や孫に受け継がれた遺伝子だけ。