そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

読書で世界の共有を

4月6日の熊日に、
2月28日、東京・新宿の紀伊国屋ホールサザンシアターで行われた
「東京国際文芸フェスティバル」を紹介する記事があった。
今年第2回目の本のお祭りだそうだ。

ちょうど、都内の図書館で「アンネの日記」や関連図書が
大量に破損された事件が注目された時期の開催。

漫画家のヤマザキマリさんと作家の島田雅彦さんの座談では、
政治と文学との関係が議題に上がったとのこと。
一部引用する。

島田さんは「かつての保守本流の政治家は教養人だった。
愛読書に大衆作家の名を挙げるようになり、
政治家の教養レベルが下がった」。
ヤマザキさんは「(その傾向が進めば)漫画が政治に影響を
与えるようになるのは確実。漫画が教養じゃないわけではないが、
全てを担うことはできない」と危ぶんだ。

古典を読み込み、学ぶことは必要であると思うが、
やっぱり学生のときにやっておくべきことである。
個人的に非常に悔やまれる。
だが、古典を研究した人が新しく本を著すときに、
当然その古典が下敷きになっているであろうから、
現実を把握し、現状を乗り切るために
古典まで遡らなくても許される方便なのではないか。

あ、そういう意味ではないか。
思考を形成する根本に教養がないことが問題であると。

漫画でも文学でも、その表面的な理解で
物事を判断して、自分の思想としてしまう浅はかな人はいるものだ。
教養とは、皮と身の間の最も養分の濃いところを
理解して自分のものとすることであると私は思う。

もう一つ引用。
米作家ジュノ・ディアスさんのことば。

「読書は書き手と読み手のコミュニケーション。
読書は受け身ではなく、自ら参加している。
読む時はひとりでも、
世界を共有することができるのです」

特に目新しい視点ではないが、改めて共有したい。