そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

永続敗戦を越えて「寄り添う」

雑誌「正論9月号」を西合志図書館で読む。
昔は、岩波書店の「世界」も置かれていたのだが、
いま残っているのは、右寄りのオピニオン誌ばかり。

ある意味有名な埼玉大学名誉教授長谷川三千子さんが、
「永続敗戦」を越えて 入江隆則氏と白井聡氏の
従属論へのテークノート」という文章を寄せていた。

「もし本当に敗戦を敗戦として(原文は傍点)――
『敵』に打ち負かされたこととして――認識してゐたなら、
津波の被害と敗戦とを並べようといふ発想自体、
あり得ないはずなのです」

長谷川名誉教授みたいな論客と相対したなら、
多分ぐうの音も出ないと思います。

「『あとがき』に至って、やうやく氏は『戦争責任』という言葉をもち出します。
しかしなんと、それは『戦争そのものの犯罪性』をあらはす言葉として
紹介されるのです。『戦争責任(ウォー・ギルト)』とは、敗者を
自動的に有罪とする概念装置であって、
『戦争そのものの犯罪性』を問ふ概念ではない
むしろ、戦争における勝敗をそのまま善悪判定の基準にすゑるという
点において、これは究極の<戦争肯定>概念と言ふべきものなのです」


「『戦争責任』といふ言葉は、交戦国のうち敗戦国のみに負わされる
特殊な罪状 War Guilt という言葉の実にゆるやかな翻訳語である」

全体を通して、彼女の論理に言いくるめられそうです。
しかし、先日私が引用した白井聡氏のインタビューの根幹は、
対米自立というスローガンでは不十分、
対米従属利権共同体をたたき壊すことが必要だということです。
だから、長谷川さんは本来、白井さんの言説を批判する刀で、
安倍晋三首相の態度こそを切らなければならない。

津波の被害と敗戦を同列に置くことができないのは、
想像力の著しい欠如であります。
私たちは未来を間違わないために、
歴史から学ぶのではないでしょうか。