7月5日の熊日に、
歴史学者の與那覇潤さんが、「砂上の平和主義」もタイトルで、
集団的自衛権の行使容認について書いていた。
今頃、読むことで改めて考えることになる。
ただいま衆議院選挙中なのだが、関心のない人も多いようだ。
この関心がないことについては、
政治がどう出ようと、少なくとも自分たちの生活が
急に変わることはあるまい、とか、
それよりなによりも、今の暮らしで精一杯なのかもしれない。
「解釈改憲そのものより、
それがこれほどあっさり実現してしまったことの方が僕には衝撃でした。
国民の議論が全く盛り上がっていない。
『お役人さん、適当によろしく』と言わんばかりの空気には、
日本の戦後への無関心が表れている。
安倍晋三首相が日本を戦後レジームから脱却させる前に、
国民の意識が戦後を抜け出してしまっていた」
人のことは言えない。
私自身が、同時代史について何も語れない。
だから、いまそれを取り戻そうとしているし、
多くの人にそれを伝えようとしている。
「日本人は、自らの社会がはらむ対立を直視せず、
作為的な変化を嫌う歴史的な『癖』があります」
なんとなく分かるな。
投票に行こうという呼びかけが伝わるのは、
投票に行くと決めている人だけではないかという気がする。
ただいま衆議院選挙中なのだが、関心のない人も多いようだ。
この関心がないことについては、
政治がどう出ようと、少なくとも自分たちの生活が
急に変わることはあるまい、とか、
それよりなによりも、今の暮らしで精一杯なのかもしれない。
「解釈改憲そのものより、
それがこれほどあっさり実現してしまったことの方が僕には衝撃でした。
国民の議論が全く盛り上がっていない。
『お役人さん、適当によろしく』と言わんばかりの空気には、
日本の戦後への無関心が表れている。
安倍晋三首相が日本を戦後レジームから脱却させる前に、
国民の意識が戦後を抜け出してしまっていた」
人のことは言えない。
私自身が、同時代史について何も語れない。
だから、いまそれを取り戻そうとしているし、
多くの人にそれを伝えようとしている。
「日本人は、自らの社会がはらむ対立を直視せず、
作為的な変化を嫌う歴史的な『癖』があります」
なんとなく分かるな。
投票に行こうという呼びかけが伝わるのは、
投票に行くと決めている人だけではないかという気がする。