そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

山猫日記について

安倍晋三首相の目指す安保法制の整備について、
国際政治学者の三浦瑠麗さんが自身のブログ
「山猫日記」に書いている。

安保法制について(1)→リンク  
安保法制について(2)→リンク  

安全保障論議は法律論だけに押し込めて語ってはいけない。
日本の安全保障環境をめぐる情勢認識が最初にあって、
それを踏まえてどのような安全保障政策が必要かという
議論が必要だと。
政策を実現するために法律論はこうなるという順序でないといけない。
そういう考えの人です。

確かにそうなんです。
法律はそういうものである。

「中国の継続的な軍拡」は脅威であるし、
軍事力を以て、じりじりと権益を拡大しつつあるのも事実だが、
それに対抗して軍備を増強するのは、
経済成長至上主義の観点からはありなのだろうが、
抑止力を過大評価してはいないか。
彼女は、米国との共同運用を前提にする日本の防衛力を
機能させるためには、集団的自衛権の行使を可能に
していないといけないと主張する。

つまり、現実に対処するために法律があるのだ、
解釈といえども変えておかなければ、使えないではいけないと。

「安保法制は、日本の防衛のためには日米同盟が
機能することが重要であり、そのために集団的自衛権の行使が
必要という本筋からはじめるべきです」

「その判断に対して国民が疑義を感じるようなごまかしの説明や
事例は日本の民主主義にとって不健全なだけでなく、
日本の安全保障にとっても良いことではないのです」

こういう主張に触れると、
つい集団的自衛権の行使容認に傾いてしまいそうになる。
なぜか、それは抑止力の範疇にあり、
実際に戦争をすることを想定しているわけではないからだ。
しかし、法律論的には規定しておかなければ、
自衛そのものが成り立たなくなってしまうという理屈である。

誰も戦争をしたがっているわけではない。
この常套句を使うときには確かにその気はないだろう。
しかし、法律で許容すれば、格段にハードルは下がる。
突っ走っても法的に糾弾されることはないから。
だからこそ、法律でがんじがらめに縛っておくべきなのだろう。
抑止力が有効ならば、それは米国との軍事的同盟が
絶対に必要だというものではないと私は考える。
世界の中で、日本だけが孤立することはないだろう。