震災からの復興は急ぐべきだと言われる。
しかし、元の状態にそのまま戻すことが本当に求められるのか。
元より良い状態を目指すから「復旧」ではなく「復興」だと言われても、
いずれにせよ、まったく元の状態に戻すことは不可能に近い。
少子高齢化や過疎など既にあった減衰状況を計算に入れずに、
復興の加速化を考えることは現実的ではない。
何百年もかかって築き上げてきたものだから、
少なくとも、百年スパンで考えるべきだと思う。
ライフラインや最低限の居住環境は、
いま現に生きている国民のために用意されなければならないが、
たとえば熊本城などどうだろう。
熊本のシンボルとして、復興のシンボルとして、
早く元の勇姿を望みたい人は多いと思うが、
私はそれこそ、ぼちぼちでいいのではないかと思う。
ガウディの建築ではないが、ひょっとしたら、
百年スパンでは求められるのもが変わる可能性もある。
それほど人の営みは虚しいものなのだ。
天災で手ひどい目に遭いながらも、
自然と折り合いをつけながら、何とか築き上げてきたのが、
日本の文化である。
蒲島熊本県知事は森山農水大臣に「農林水産業の復旧」を求めたとのこと。
しかし、復興は熊本県がこれからの農業をどうするのか、である。
農業を基幹産業と考えるのであれば、
その方向性をもう一度しっかり確認すべきだ。
新しい熊本は「がんばろう」という抽象的な掛け声からは生まれない。
そのことを私たちは自覚すべきだ。
もちろん個人的な生活の立て直しについては、
以前の仕事を続けることができるのかという
深刻な問題を抱える場合も多いだろう。
その対応がいちばん大切なことだと思う。