そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

母の子ども時代(台湾篇)

母と墓参りに行った。こちらから水を向けないと
何もしゃべってくれないので、
子どもの頃のことを聞いた。
祖父が陸軍の軍人だったので、母は東京で生まれて、
小学校に入る前に台湾に渡った。
小学校では日本人だけではなく、
現地で地位の高い家庭の子どもと一緒に学んだそうだ。
母は妹と二人、人力車に乗って通学した。
車夫は言葉が通じないので、
定期券みたいなものを首から下げて、
それで行き先を知らせていた。
彼は人力車を曳くとき草履を懐に仕舞っていたらしい。
母たちは裸足だったそうな。
正月に食べた西瓜のことを何度も話した。
小学校4年のとき、熊本に帰ってきたが、
熊本弁が分からなかったらしい。
よく言われることだが、喧嘩をしているようだったと。
祖父も祖母も家では熊本弁をあまり使っていなかったのだろうか。