そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

公共の器としての図書館

締め切りが7月31日だったのに、間に合わなかった。
その上に、800字以上だったのに800字以下。
図書館をリ・デザインするということで、全国の図書館関係者と
ここ1年半ぐらいか、Zoomで会議を重ねてきた途中の仮のまとめとして
それぞれにテキスト化することになったのだが、もともと問題意識はあったものの
どうも自分でも当事者感覚があまりない。なので、他人事、余所事になっているような気がする。
利用者としても熱心というわけでもないのではないかと自問する。
議員としての精一杯の意思表示的な感じだろうか。

公共の器としての図書館                                       

1 基礎自治体の消滅

2050年、少子高齢化縮小均衡の形で落ち着いた。基礎自治体として行政機能を維持できなくなった市町村は広域連合として近隣と連携して形だけの自治を行うか、それができない場合は都道府県の直轄区域となり住民自治は実質失われることとなった。

2 そのとき図書館に何ができるか

自治体の行政サービスだった市町村立図書館は、自治機能が失われたとき、廃館か自主運営かを迫られている。多くの場合、2年から3年間は維持管理費が補助されることになったが、その後は完全に住民の持ち寄り、あるいは企業等からの寄付により運営することになる。以前の市町村の行政文書の保管を委託されている建物は、公文書保管庫としての予算だけは確保された。

3 生き残った図書館

相次ぐ災害で国力を失ってしまった日本には、もはや道州制などに移行する力は残されていない。都道府県は基本的に国の委任事務をこなすだけの組織に過ぎなくなった。そういう時代に、図書館の機能を再構築し充実させることができていた市町村だけが、基礎自治体として生き残った。その地域の地政学的な特性や歴史を体系的に整理し保存することにより、住民の意見の集約と啓発にそれらのデータを活用、説得力を持ち積極的に自治体としての課題解決を図ることができたからである。

4 そうは言っても生き続ける図書館

資料や記録を残すこと、読書すること、誰かと語ること。それらを必要とし楽しむ人がいる限り、図書館的なつながりや場所はまたそれぞれに生まれてくるのだろう。