選挙というのは、大学受験に似ているところがある。
任期が4年というのは、
大学の入学から卒業までと同じだし、
今回、合志市議会議員選挙は無投票になったが、
それは例えて言うなら、
大学への推薦入学と同様と考えられるか。
あくまでたとえ話である。
普通、学生は授業料を納めて勉強する。
それに対して、議員は勉強と同時に政務調査もする。
それこそ勉強という言い方も出来るが、
本会議や委員会での討議及び議決が本来の仕事だ。
そしてそれらの役目に議員報酬が支払われる。
これは報酬とはいうものの、
議員としての活動に対する費用弁償的意味合いもある。
兼業が認められているとはいえ、真面目にやれば、
かなりの時間が議員としての仕事に充てられるから、
経費であるとともに、他の仕事で稼ぐ分の補てんにもなると思う。
ただ、市民(住民)の多くが、そんな金のかかる議員はいらない。
生活費や活動費は自分の本業で稼いで来ればいいのだ、
と考えるのであれば、それが出来る人しか議員になれない。
というか、市町村レベルでは、
行政の提案が妥当か充分に検討したり、
議会からの条例提案など夢のような話になる。
自分の本業に費やす時間の方が、
優先順位では先になるからだ。
ただ、そうすれば地方議会自体が不要だということにならないか。
しかし、
議会のチェック機関としての本来の役目がなくなれば、
行政の暴走や失敗があった場合、
住民が等しく責任を取らされることになる。
増税であったり、生活福祉の一方的削減であったり。
住民投票や、住民参加の意思決定機関を
その都度作ればよい、あるいは
ネットによる直接参加の機会を設ければいいとか、
住民の多くがそれを求めるなら、
そういう方法が試されてもいいだろう。
ただし、先ほどのように結果に対して
住民が等しく責任を取らされることは同じことである。
もちろん議会が普通に役目を果たしていても、
その判断が間違っていて、
やはりすべての住民に後始末のツケが回ってくることも
ないとは言えないだろう。
つまり、政治というのは最終的には、
うまく行かなくなったときにはどうするのか、
それを想定しつつも、
そういう事態を未然に防ぐためにある。
少なくとも、その存在理由の一つである。
以上、熊本県合志市の
市議会議員2期目を迎えるにあたって私が考えた、
政治家として、議員としての基本的な役割の一部です。
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