そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

アダルト教育基本法の必要

 教育基本法改正案の質疑に入るための、露払いでもあったかのような「いじめ自殺真相隠し問題」と「必修科目未履修問題」。これは、イメージ的にはメディア報道の仕方によるところも大きいと思う。
 それぞれのニュースにそのつもりはなくても、それらが一塊になって次第に偏向して行くということもありそうだ。我われは、そういう流れにどう対応すればいいのだろう。冷静に分析するためにと、その問題に係わりあってばかりはいられないのも現実だ。
 私にとっては、どうも安倍ちゃんが冷静なように見えるのが不気味である。これも政権及び審議に追い風だとでも思っているのだろうか。ということは、何かまったく別の都合の悪い問題が目立たなくなっているとか、そういうことかもしれない。

 教育基本法の改正について「志ある国民を育て、品格ある国家をつくっていく」のが目的だと、首相は言っているらしい。今の日本は品がないと言っているのだ。確かに品がない。その先頭を切っているのが政治家だ。品のない国民が選んでいるのだから、仕方がない。
 子どもたちが立派に育つような教育を与えたところで、学校の外では(学校内のことはさておき)、これまでろくな教育を受けてこなかったおとなたちが、好き放題にやっているので、子どもたちは何が正しいことなのか、大いに迷ってしまうのだ。そして、教育は理想であって、現実の生き方とは、全然関係がないことを知る。
 これはひとつの例えだが、今年18歳になる私の長男が小学生のとき、学校のそばの交差点で、おとなの運転する車は信号無視ばかりすると、よく言っていた。そして今や、一般的な意味で「不真面目」な高校生になった。
 国土交通省が道路やダムを作りたがるように、文部科学省にとっては教育の中央集権が必要なのだろう。自分たちの仕事が少なくなるということは、アイデンティティの危機だからだ。
 教育が本当に必要なのは、いわゆる「おとな」であること、再チャレンジの前に再教育を、ということを言ってくれたら、安倍ちゃんを支持するのだが。純粋な子どもたちを捻じ曲げているのは、自分たち「おとな」なのかもしれないと、気づくことはないのだろうな。