そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

私のハードボイルドワンダーランド

母の実家は、熊本電鉄(菊池電車)の黒石駅の近くなので、
幼いころ、祖父のところに遊びに行って
さて、熊本市内に遊びに行くか、となると
黒石駅から菊池電車に乗ったものだ。
そして堀川駅で降りて、バスに乗り換える。
通町鶴屋前まで行くには、バスの方が便利だからだ。

いくつのときか忘れたけれど、
鶴屋百貨店の食堂で食べたざる蕎麦がおいしくて、
おかわりをしたことを思い出した。

母の子どものときは藤崎宮前駅まで行って、
駅前の山本屋で食事するのが、数少ない贅沢だったという。
母方の祖父は、戦争中家族と共に台湾にいて、
現地の人との記念写真が残っているが、
週末にすき焼きをよく食べたとのこと。
母は毎週と言っていたが、それはないだろう(笑)

思えば、黒石の家には天火があって、
祖母がよくポンド(パウンド)ケーキを焼いてくれたものだ。
天火(オーブン)もそうだが、
祖父お手製の太陽熱湯沸かし器が屋根に載っていて、
あれも天火と呼んでいたような気がするが、
いま思えばすごいエコな暮らしだったな。
水は、下の親戚の井戸に汲みに行った記憶がある。
西瓜を冷やしに行ったのだったかもしれない。
藪椿の実から油を取り、お茶の木が塀代わりだった。
山羊も飼っていて、そのフンを正露丸だと教えられた。
陸軍式のジョークというやつだろうか。

いまは舗装されて、
その先はどこまでも住宅地が広がっているが、
昔は、その坂を上るとそのまた先は地の果てだった。
実際は少年の町(現天使園)があって、
その向こうの自衛隊演習場までは、
八景水谷の駐屯地から、国道伝いに
61式中戦車がキャタピラーで小石とほこりを巻き上げながら、
何台も何台も走っていたのだけれど。

役場から帰ると、NHKの人形劇
チロリン村とくるみの木」を見るのが楽しみだったという
祖父の頭の中では、どういう未来が見えていたのだろう。

※私が昔、人づてに聞いた話と
自分自身の幼い記憶で構成されていますので、
事実とは幾分違っているかもしれません。また
誇張されている場合がございますが、そこはよしなに・・・


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これは、先日藤崎宮前駅で買い求めた
昔日の熊電乗車券也。
確か、1セット百円だったと思います。