そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

安井かずみがいた時代

図書館で雑誌「婦人画報」を読む。
島﨑今日子さんの「安井かずみがいた時代」という連載を
バックナンバーがあるだけ読んだが、
2012年7月号で終わるまで20回ほど続いていた。
毎月一人ずつ証言者から思い出を引き出しながら、
彼女の著作や作詞からの引用を挟んでいる。

加藤和彦との生活はいちばん興味があるところだったが、
大方は当時雑誌などで読んでいたことばかりだ。
二人の生活が見かけのカッコよさだけでなく、
夫婦間には確執があったことなど
明らかにされる部分もあるが特に驚くべきことでもない。
しかし、ついつい惹き込まれてしまい、
時代の目撃者になったような重たい気分になった。

安井かずみがいた時代、
高度経済成長期からバブルに至る日本における
新しい女性、また夫婦像とされた彼女たちの生活を通して、
時代を切り取る。それが狙いなのだろうから。
いま手元にはないが、
そういうふうなイントロダクションが書かれていた。

アーティストは作品で評価されるものだ。
加藤和彦のヒストリーは、安井かずみとの生活がすべてではない。
その一部が明らかになったにしても、
やはり誰かが彼自身についての評伝を
書くべきではないかと思う。しかしそれでも、
やはり作品そのものがまず評価されるべきである。
と思うのだが、
大瀧詠一などと違って、本人が自分の過去の作品を
あまり大切にしていない人なのだった。

二人とも亡くなってしまったのだから、
書かれたことが事実と違うという反論は聞けない。
だから、与えられたイメージの中で、
新たな印象が形づくられ、
また別な陰影もつけ加えられて、
そうしながらも少しずつ忘れられていくのだろうか。