そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

エア・ナショナリスト

菊陽町図書館で、週刊金曜日3月28日号を読む。
上智大国際教養学部教授の中野晃一さんが書いている
ネオリベ時代のエア・ナショナリスト」。

空を切ってギターを弾く真似を熱く演じるエア・ギターのようだ、
安倍晋三首相のことを批判的に書いているわけだが、
それでは本物のエア・ギタリストが少し可哀想だ。

引用すると、
「日本にとって悲劇的なのは、小泉および第1次安倍政権までは
社会経済と外交防衛のネオリベ化を求めるブッシュ共和党
タカ派政権の意に沿って動くかぎりにおいて
『健全なナショナリズム』の発露として黙認
もしくは歓迎すらされていたものが、
オバマ民主党政権に変わり、日中・日韓関係が
これまでにないほど悪化するなか、
もはやアメリカにとっても看過できないものであることと
理解する現実把握能力さえ安倍が持ち合わせていないことである」
とは、かなり痛烈である。

しかし、少なくともそう考えることが、
「われわれは孤独ではない」と感じられた。
ただ、本当にそんなに現実把握能力が劣っているのかどうか、
これは、ひょっとするとその裏に深謀遠慮があるかもしれないので、
あと5年、10年経ってみないと分らないかもしれない。

別の記事では、森達也さんと対談した堀江貴文(敬称略)が
こうも言っている。
「僕は、いくら安倍さんが偏狭な国家主義を掲げてがんばったところで、
国境がなくなっていくボーダレス化の流れって
変わらないと思います。
だって、『日本の1億対世界の70億』で
勝てるわけないじゃんって」

これも大筋では間違っていないと思うが、
ものごとがそう直線的に行かないことは、
もちろん堀江も分かっていると思う。
希望を持っているということにしておこう。

帰りにその流れで、紀伊國屋書店光の森店で、
渋谷陽一責任編集の雑誌SIGHTを買う。
表紙には「原発、秘密保護法、靖国参拝に反対する
私たちは少数派
だとは思えない――この国の政治は誰の
意思によって動いているのか」という表題が。
内田樹さんと高橋源一郎さんの対談を立ち読みで済まそうと思ったが、
たまにはこういう本も買わないとなと思った次第。

で、ヴィーブル図書館で先日借りた
福田和也著『悪と徳と 岸信介と未完の日本』
産経新聞社刊をいま読んでいるところです。
やっぱり、安倍晋三は不肖の孫だな。