そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

農友会実習所

下段は、ウィキペディアからのほぼ引用です。
9月23日(土)秋分の日に泉ヶ丘市民センターで、
「松田農場 松田喜一先生と黒石原」という講演会を
開催します。講師は農業ジャーナリストの
岡村良昭さんです。
何度も書いているかもしれませんが、
どうして合志市には国県等の公的施設が
広大な面積を占めているのか。占められているのか、
という歴史的な成り行きを明らかにしようというものです。
それは潜在的な成長を阻害していると思われていますが、
果たしてそうなのか。


○プロフィール
1887(明治20)年12月1日 - 1968(昭和43)年7月30日)
熊本県出身の日本の農業研究者・教育者・著述家である。
農業試験場技師時代に松田式麦作法を考案するなど、革新的な食料増産技術の発展に貢献。 自ら日本初の民間農業実習所を開き48年間に亘り生徒を受け入れ後進育成に献身するなど、明治から昭和にかけて日本の農業発展に貢献した。また、全国各地に赴き講演を開き農業技術・精神の普及に尽くした。実習所で直接教育を受けた生徒は約3,600名、講演で講習を受けた者は延べ約40,000名に及ぶ。その傍ら雑誌『農友』を自ら執筆、50年間に亘り刊行し、その他50冊におよぶ著書も執筆した。『農友』は毎号皇室にも届けられ、昭和天皇の巡幸、各皇族の視察を受けた。藍綬褒章・勲四等瑞宝章受章、従五位。「昭和の農聖」と謳われた。



当事者意識

日朝平壌宣言

日朝平壌宣言から17日で15年を迎えたという記事が
今朝の熊日「表層深層」にあった。
これを読むと、日本政府はこの1年、拉致被害者救出を目指し、
北朝鮮金正恩体制と水面下で接触を続けたという。
核・ミサイル問題を巡り、北朝鮮への圧力を強める
米大統領金正恩朝鮮労働党委員長との対話を仲介し、
拉致問題進展につなげるために、首相が今秋の訪朝を
考えていたという話。
なんで今、その情報が出てくるのか。
水面下をリアルタイムで表に出せないのは分かるが、
これまでは安倍首相が「拉致問題は最重要課題」と繰り返す
誠意のこもっていないとしか感じられない言葉しかなかった。
そのことの説明はなくていいのだろうか。
結果オーライでいいのか。




ラジオのニュースで

いつもの朝のように午前6時前に目覚め、
NHKラジオ第一のニュースを聞いたら、
なんと衆議院解散の報が流れた。
ムカつくとはこのことだ。
冷静になるために、なすべきことはなんだろう。
というわけで、いつものように
ラジオ体操をするために公園に出かけた。
長靴はいて、傘を差して。

人間は自分が正しいと思わないと
おそらく生きていけないと思います。
だから安倍首相も自分たちが正義だと思っているのでしょう。
多くの国民が政治を自分のこととして
考えるようになるには、
私たちはどうすればいいんでしょうか。








祖父の写真

今週のお題「私のおじいちゃん、おばあちゃん」
昨日の続き。
どこなんだろう、ここは。

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移民の歌

合志義塾の卒業生名簿には、
父方の祖父の名前もある。
名前だけなので確認はできないのだが、
どうも祖父の兄らしき名前がある。
祖父の兄は米国に移民で渡った。
子どもの頃、
ブリキのおもちゃをお土産にもらったことがある。
上田家の初孫で男の子だった私は、
当時期待の星だったようだ。
祖父は兄がアメリカに行ったので、
自分は満州だと考えたらしいが、小倉まで行って、
回りがヤクザ者ばかりだったのに恐れをなして
戻ってきたのだと祖母に聞いたことがあるが、
よく考えると、どうも時代的に合わないような気がする。
いずれにせよ、私が今の自分で生まれてこなかった可能性はある。
誰にでも大なり小なりある可能性だとは思うが。


冷やし中華のメモリー

久しぶりに熊日に投稿しようと思っている内に、
なんとなく季節を逸してしまった。
外は台風接近中の雨です。

冷やし中華を初めて食べたのは、
青学の学生会館地下大食堂(通称「学食」)で、
1年か2年の夏。
山下洋輔らが始めた「全冷中(全国冷し中華愛好会)」が
雑誌で話題になるよりも少し早かったような気もするが、
ちょうど1975年か1976年はそういう年だったのかもしれない。
ところで、その年の青学の学食の冷やし中華を超えるものに
私は出合ったことがない。
冷やし中華を他で食べたことがないということと、
初めて食した翌年の夏に同じ学食で食べた冷やし中華が、
前年のそれと似ても似つかぬ美味くないものだったからだ。

と、ここまで書いて、熊日に投稿するための文章を
書課なくてよかったと思っているところだ。
今日はもう集中力が途切れたので、このへんで。