そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

有権者としての自覚・総選挙2005~9/17/2005・k296

 選挙戦というぐらいだから、昔なら本当に戦(いくさ)をやっていたのだろう。投票という形で勝ち負けを決定して、権力を手に入れるという方法に変わったのはいつ頃のことだろうかと、のんきなことを考えながら、開票速報を見ていた。

 小泉首相は、かなり前から郵政を「改革の本丸」だと、時代劇みたいに言ってきたので、「刺客」という過激な言葉が出てきても驚くことではなかったのだが、それにとびついて売り上げを伸ばしたのは、週刊誌であり新聞であり、テレビ局だったに違いない。

 劇場型という選挙戦を振り返るとき、私は愉快犯を連想する。自分で放火して、火事場の大騒ぎを見て喜ぶといった犯罪と一緒にするのは乱暴だが、私たち国民は、ドラマの視聴者なのではなく、その当事者であり、一人ひとりが出演者であることを忘れてはいけないと思う。

 これまで、低投票率が、国民の政治に対する無関心さと言われ続けてきたのに、いざ投票率が上がると、ちょっとした危機感を抱かざるを得ないような状況だ。投票は、入れた後にも、次の選挙までの責任が残ることを、みなさん自覚しようではありませんか。

Then and Now:平成17年9月21日付熊本日日新聞「読者のひろば」掲載。愉快犯の行は省いてあった。良識というやつでございましょう。偉そうなことを書いても、実は選挙公報も読まなかった私も、烏合の衆のひとりであります。
憲法が変わったって、ミサイルが飛んできたって、動じることはない。ヒト型鳥インフルエンザが大流行しようと、その後のことは自分が生き残ってから考えればいいのだろう。