そうムーチョだから

イカしたタイトルを思いつくまで。

過去を担保する。

毎度のことながら、
新聞の整理が滞ってしまっている。
本日、なんとか4月に入ることができた。

それで、しかしそれはそれなりに
このiPadの時代に、新聞紙の片付け、
及びスクラップの、意味のあるかないか、
ほとんど無さそうな行為のうちにも、
個人的にはいい勉強になることもある。

ちょうど、3月分ということは、
合志市長選挙があった時期で、
一応目を通してはいるものの、
改めて、両候補(当時)の言い分を読むのは、
歴史を紐解くみたいな感じがする。

もちろん、議員の補欠選挙
日蔭者である。

そこで、3月30日の夕刊。
南木佳士(作家・内科医)さんのエッセイ
「生きてるかい?」である。

以下、引用。
「途中、国立の駅を通過するとき、
ここの都立高校に通った16,7歳のころのことを
想い出そうとするが、
まったくよみがえってこない。
過去に過ごした場所は過去そのものを担保しない。
過去は想い出すそのときの状況に合わせて
改変され、上書きされてゆくだけのものなのだ、
きっと」

例のごとく、
ここだけ取り出して、意見を述べるというのは、
筆者に対して、大変失礼ではあるが、
このセンチメンタルさは、
私の上を行っていると思った。

そうだなあ。
はっきり想い出す、なんて言ったって、
自分の都合のいいように、改変されていないとは、
証明しようがないものね。









It is changed to the situation to remember at that time in the past,
and it is overwritten.